勤め人であれば、気の合わない連中とも付き合わねばならぬし、時にはまずい酒も飲まねばならない。だから定年を迎えて遠慮のいらない立場になると、そういうまずい付き合い酒は一切避けて、ほんとに気の会った連中ばかりと飲むようになる。
気の合った仲間をたくさん持っているほど、老後の人生は生きやすい。人間の財産のうちでも、多くの友人を持つことほど尊いものはない。筆者は最近つくづくそう思うようになった。
筆者にも、そう多くの数ではないが、気の合った仲間が何組かある。その連中と一緒に旅行をしたり、ささやかな宴会を催すのが、人生最高の楽しみだ。
先日もそうした仲間のひとつと浅草今半で飲んだ。仲間のひとりが肉好きで、今半のすき焼きが食いたいというので、費用は少々張るが、この店で久しぶりに一杯やろうということになったのだ。
集まったのは筆者を含めて四人。60過ぎがふたり、50前後がふたりである。四人は仕事を接点にして知り合った仲だが、仕事上そんなに深いかかわりがあるわけでもなかった。何回か顔を合わせている間に、なんとなく親しくなり、じゃあ一杯やりましょうやと付き合い始めたら、互いに気が合うものを感じたというわけである。
友達をつくるというのは案外難しいことで、腹を割って話せる友達は、そう多くはもてないものだ。まして年をとればとるほど、新しい友達を作るのはむつかしくなる。かえって古くからの友達とだんだん疎遠になっていって、周囲から親しいものが去っていき、次第に孤独を深めていくというのが、さびしい老後の典型的なパターンだ。
だからこうした気のあった連中は大事にして、時たま一緒に飲んだりしたいものだ。そんなに頻度が高くなくてもよい。節目節目に会うことが大事だ。こうした連中とはたとえ四半期ぶりに会っても、つい先日あったばかりのような、気安さを感じるものだ。
今半のすき焼きはさすがにうまい。50前後の男たちはそういって、うまそうに食っている。筆者は肉をそんなに好まないが、やはりうまいものはうまく感じる。この店の肉は極上の霜降り肉で、とろけるようにやわらかい。それを仲居さんがそばについていて、いちいち焼いてくれる。味も雰囲気も洒落ている。というわけでこの夜は、気のあった連中と心おきなく過ごすことができた。
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