先日アメリカジョージア州で、ある団体の幹部四人が自殺幇助の罪名で告訴され、大きな話題を呼んだ。団体の名は「最後の出口」Final Exit Network といい、生きることに絶望した人々に対して、自殺を助けることを目的に掲げている。ここ数年の間に、ジョージア州周辺で200人をこえるケースについて自殺幇助を行ってきているらしい。
一方検察当局が事件の当事者としてあげている自殺者(法的には被害者ということになる)は、ジョージア州に住む58歳の男性で、数年前から口腔および咽頭にできたがんのため苦痛にさいなまれていたという。団体ではこの男の依頼を受け、男を苦痛から救ってやるために必要な手助けをしただけで、決して犯罪的な行為ではないといっている。
団体がこの男をどのようにして死なせてやったかについては、まだ詳細は明らかにされていないが、傍証などから推察すると、どうやらヘリウムガスを吸わせることで、苦痛を感じずに楽に死なせてやったらしい。
アメリカ各州の中では、オレゴン州とワシントン州が、一定のケースについて自殺幇助を容認している。またモンタナ州では地方裁判所で自殺幇助が違法ではないとの判決が出たことがあったが、それは州最高裁で覆された。その他のすべての州では、自殺幇助は違法である。ジョージア州では自殺幇助に関する法律を制定し、自殺を幇助したものに最高5年間の懲役刑を定めている。
今回のケースでは、被告たちはいづれも有罪となり、5年間の懲役に付されるだろうという観測がもっぱらである。それに対して被告たちは、この裁判をきっかけにして、自殺幇助について世論が盛り上がり、世の中の雰囲気が変わっていくことを期待しているらしい。
筆者自身は、自殺幇助をどう考えるべきかについて、確固たる信念はない。自殺は基本的には他人の手を借りないでもできることと思われるから、なにもそれに手を貸してやる必要がそうあるとも思われない。だが中には死にたくても死ねない人もいるのだろう。悩ましい問題だ。
かつて尊厳死が問題となり、そのパラレルとしての安楽死が問題となったことがあった。日本でこの問題が表面化したのはもう一昔もふた昔の前のことであるが、法的に整理されるのをまたずに、末期医療の現場では、延命処置の中断という形で、事実上安楽死が広まってきている。
安楽死と自殺とでは、同一のレベルでは論じられないかもしれないが、どちらも人間が自分の意思によって死を選び、それを他人が尊重して意思を遂げさせてやるという点は似ている。それを理論的に支えているのは、人間の「死ぬ権利」ということだろう。
今回のケースでも、団体側ではこの「死ぬ権利」を表面に掲げることで、自殺を助ける自分たちの活動を、広く社会にアピールしていく戦略のようだ。
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