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笠金村:もう一人の宮廷歌人(万葉集を読む)


笠金村は、山部赤人とほぼ同時代か、あるいはやや先立つ世代の宮廷歌人である。赤人と同じように、柿本人麻呂に続く宮廷歌人として、元正、聖武両天皇の時代に儀礼的な歌を作った。その歌には、人麻呂に見られたような神話的な悠久さは薄まりつつあったが、それでもなお、天武持統両天皇の時代に確立した、古代王朝の泰平の響きがこだまのように反映してもいる。

笠金村は朝臣の姓を有するところからして、貴族ではあったらしいが、続日本紀などにはその名が出てこないので、下級の官人にとどまったのだと思われる。恐らく、人麻呂のように、歌の技量を認められて、宮廷歌人として仕えたのではないか。その一族からは、熱烈な恋愛歌の作者として知られる笠女郎が出ている。

笠金村は元正女帝のために多くの儀礼歌を作った。その中でも、万葉集巻六にある次の歌は、金村らしさがもっとも良く現れた秀作である。

―養老七年癸亥夏五月、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
  滝の上の 三船の山に 
  水枝さし 繁(しじ)に生ひたる 樛(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 
  万代に かくし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 
  神柄(かみから)か 貴かるらむ 国柄か 見が欲しからむ 
  山川を 淳(あつ)み清けみ 大宮と 諾(うべ)し神代ゆ 
  定めけらしも(907)
反歌二首
  毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内の激(たぎ)つ白波(908)
  山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ち激つ滝の河内は見れど飽かぬかも(909)
或ル本ノ反歌ニ曰ク、
  神柄か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも(910)
  み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまた還り見む(911)
  泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや(912)

悠々たる言葉の流れが人麻呂の影響を感じさせる。「樛の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ」というところなど、王朝の連綿たる権威をたたえて、白鳳時代のおおらかさを思い起こさせもする。

だが、人麻呂と決定的に異なるところは、天皇を現人神とたたえる神話的な要素が、この歌には希薄なことだ。

赤人の場合にもまた、神話的な要素の変わりに、叙景的な言葉の流れが、歌に風格をもたらしていた。金村は「神柄か 貴かるらむ 国柄か 見が欲しからむ」と、臣下として吉野の宮の大いなる様を歌い上げることによって、人間的な視点を儀礼歌の世界に持ち込んだ。

万葉集巻二挽歌の部には、志貴親王の死に寄せた挽歌が載せられている。志貴親王は天智天皇の第七皇子、天武系ではなかったが、人柄と功績を評価されて、元正天皇自らその葬儀を命じたという。この挽歌は、その葬儀の際に、命じられて作ったものと思われる。金村の儀礼歌の中でも、もっとも早い時期のものである。

―霊亀元年歳次乙卯秋九月、志貴親王の薨せる時、よめる歌一首、また短歌
  梓弓 手に取り持ちて 大夫の 幸矢(さつや)手挟み
  立ち向ふ 高圓山に 春野焼く 野火と見るまで
  燃ゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道来る人の
  泣く涙 霈霖(ひさめ)に降れば 白布の 衣ひづちて
  立ち留まり 吾に語らく 何しかも もとな言へる
  聞けば 哭のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き
  天皇の 神の御子の 御駕(いでまし)の 手火(たび)の光そ ここだ照りたる(230)
志貴親王の薨(すぎま)せる後、悲傷(かなし)みよめる短歌二首
  高圓の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに(231)
  御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに(232)
右ノ歌ハ、笠朝臣金村ノ歌集ニ出デタリ。或ル本ノ歌ニ曰ク
  高圓の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ(233)
  御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに(234)

「立ち向ふ 高圓山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を いかにと問へば」とあるのは、火葬の様子を歌っているのであろうか。続日本紀などの記録にはみえないが、この時代火葬が王族の間で流行していたらしいことを思うと、その可能性は十分に考えられる。

この歌について、沢潟久孝は「万葉集注釈」のなかで、「作者自らの悲しみを語らず、人々の悲嘆を客観的に極めて印象的に描き」と評している。そこが、この歌の、人麻呂の時代とは違った新しい時代を感じさせる。

万葉集巻六雑歌の部に、聖武天皇の吉野行幸に際して作った次の歌が載せられている。

―二年乙丑夏五月、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
  あしひきの み山も清(さや)に 
  落ち激(たぎ)つ 吉野の川の 川の瀬の 浄きを見れば 
  上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴き 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ 
  百敷の 大宮人も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 
  見るごとに あやにともしみ
  玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと
  天地の 神をぞ祈る 畏かれども(920)
反歌二首
  万代に見とも飽かめやみ吉野の滝つ河内の大宮所(921)
  人皆の命も吾もみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも(922)

「上辺には 千鳥しば鳴き 下辺には かはづ妻呼ぶ」というところは、赤人の叙景的な表現を思わせる。この歌を全体的なイメージのもとにとらえると、儀礼歌とはいえ、天皇の偉大さを歌ったものだという印象は伝わってこない。そこが、人麻呂の歌とは決定的に異なる。

長歌の結びに「天地の 神をぞ祈る 畏かれども」というところや、二つ目の短歌にある雰囲気は、寿ぎというよりは、人間臭さを感じさせる。

笠金村は、現人神をたたえる白鳳のおおらかな作風から、人間の無情さを正面から歌った万葉後期へと橋渡しする、過渡期の歌人であったといえよう。

関連リンク: 万葉集を読む

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  • 宮廷歌人柿本人麻呂(万葉集を読む)

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