定時制高校の生徒数が、急に増えているそうだ。手元に資料がないので、全国の動向は詳しくわからないが、都市部の定時制高校は、この二三年の間に、生徒数が倍近くに増えている学校が多いと聞いた。このことは何を物語っているのか。教育をめぐる環境に、おぞましい現象が生じているのであろうか。
定時制高校はそもそも、中学校を卒業後就職した子どもたちのために、高校教育の機会を保障する場として設立されたものである。日本がまだ貧しかった時代の、つつましいが意義のある制度だった。だから国全体が豊かになっていくにつれて、利用するものが減少していくのは、必然のことだったといえる。それなのに、近年再び生徒数が増えだしたというのは、日本の社会に、ある種の貧しさが戻ってきたことの反映なのであろうか。
横浜にある翠蘭高校は、昨年の定時制の生徒数が70人であったが、それが今年は一気に140人に増えた。実に倍増である。何故短期間にこんなに増えたのか。NHKの報道番組が、その背景について、追跡していた。
まず入学の動機を尋ねると、経済的な理由が圧倒的だった。親がリストラで失業し、子を普通高校に行かせる余裕がないというのだ。子どもは昔のように、就職まではしないが、昼はアルバイトをして自分の学費を稼ぎ、幾ばくなりとも親に金を入れなければならない、こんな事情を抱えた子どもたちが殆どである。
この定時制高校は就学期間が3年間である。通常は4年間であるが、それよりも早く卒業したいという、生徒の希望が強いからだ。
卒業を控えた生徒たちは、就職活動に躍起になっている。みなある程度の収入があり、しかも安定した勤務先を探しているが、なかなか希望通りにいかない。殆どの子は、月給14-5万円の中小零細企業に勤めることとなり、希望が適うのは10分の1程度に過ぎない。
中には、自分のやりたいことがあって、それをかなえるために専門学校に行きたいのだが、親のことを思うと、あきらめなければならないかと、逡巡している子もいる。
この学校の生徒たちの殆どは、親の惨めさをいやというほどみてきた。だから早く自立したいと思ったり、親を助けたいと願ったりする感情が人一倍強い。そんな彼らなのに、彼らに待ちうけている未来は、必ずしも明るくない。
中には自棄になる子もある。だが大部分の子は、小さいなりに希望を持って、未来に立ち向かっていこうとしている。
筆者はその姿を見て、実に複雑な感情を抱いた。日本の社会がどこかおかしくなってきていることは、数年前から感じてはいたが、そのおかしなひずみが、子どもたちを打ちのめし始めている。
ワーキングプアという言葉に象徴される新しいタイプの貧困が、どうも世代間で再生産され始めたのではないか。格差の拡大が、若い世代に機会の均等を阻んでいるのではないか。
こんなことを考えると、筆者は憂鬱な気分に陥らざるをえない。
関連リンク: 日々雑感