山部赤人は、儀礼歌を中心にして多くの長歌を書いた。それらの歌は、人麻呂の儀礼的長歌と比べると、荘重さというよりは、叙景の中に人間的な感情を詠みこんだものが多かった。そして、この叙景という点では、赤人の本領は短歌において、いっそう良く発揮された。赤人は、人麻呂の時代と家持の時代を橋渡しする過渡期の歌人として、短歌を豊かな表現手段に高めた人だったといえる。
山部赤人の叙景歌は、長歌に付された反歌の中に優れたものが多い。それらは、先稿において言及したところであるから、ここでは、独立の短歌を取り上げたい。
まず、万葉集巻八から、一首を取り出してみよう。
―山部宿禰赤人が歌一首
百済野の萩の古枝に春待つと来居し鴬鳴きにけむかも(1431)
これは、鶯の鳴き声にことよせて、春の訪れを詠んだ歌である。かように、赤人の叙景歌は、自然や動物を生き生きと描きながら、そこに作者の思いを込めるというものが多い。
万葉集巻十七以後は、大伴家持が越中在任期間中に書き溜めた歌記録であるが、その中にも、赤人の歌が収められている。
―山部宿禰赤人が春鴬を詠める歌一首
足引の山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声(3915)
右ハ年月所処、詳審カニスルコトヲ得ズ。但聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。
追記には、年月所処をつまびらかにせずとあるが、赤人の歌として伝わっていたものを、自分の歌日記に書きとめたのであろう。赤人の歌は、流行歌のように人々に迎えられ、口ずさまれていたのかもしれない。
野づかさとは、小高い丘を指す。その丘の上を鳴きつつ飛んでいく鶯に、赤人は春の到来を喜んだ。素直な気持がそのまま伝わってくるような、優れた歌である。
万葉集巻三には、柿本人麻呂の旅の歌と並んで、山部赤人の歌六首が納められている。いづれも、旅の途中に自然を詠んだ叙景歌と思われる。
―山部宿禰赤人が歌六首
繩の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島榜ぎ廻(た)む舟は釣しすらしも(357)
武庫の浦を榜ぎ廻む小舟粟島を背向に見つつ羨(とも)しき小舟(358)
阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのごろ大和し思ほゆ(359)
潮干なば玉藻苅り籠め家の妹(も)が浜苞(はまつと)乞はば何を示さむ(360)
秋風の寒き朝開(あさけ)を狭野(さぬ)の岡越ゆらむ君に衣貸さましを(361)
みさご居る磯廻に生ふる名乗藻(なのりそ)の名は告らしてよ親は知るとも(362)
(357)と(358)については、アララギ派の歌人中村憲吉が丁寧な解説を加えながら、絶賛している。「釣しすらしも」と詠いつつ、そこに人間の営みを見ることが、歌を単なる叙景に終らせず、味わい深い暖かなものにしている。また、武庫の浦の歌も、粟島を背向に見つつ行きかう舟々のイメージが、作品に人間的な温かみを加えているという。
「秋風の」の歌については、古来異なった解釈があわせ行われてきた。これを素直に赤人の歌と解すれば、「君に」とあるのは赤人の友人をさすということになり、赤人がその友人に衣を勧める歌だと解することになる。
一方で、赤人が旅の途中に仮初に知り合った女から贈られた歌だとする説もある。この場合、「君に」とは、女から男に呼びかける言葉だというのである。
筆者には、両説に雌雄をつけるほどの学識はないが、どちらの立場に立っても、味わうに耐える歌である。