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山部赤人:富士を詠む(万葉集を読む)


山部赤人には、富士の高嶺を詠んだ歌がある。特に短歌のほうは、赤人の代表作の一つとして、今でも口ずさまれている。おおらかで、のびのびとした詠い方が、人びとを魅了する。万葉集の歌の中でも、もっとも優れたものの一つだろう。

この歌を、山部赤人が何時の頃に作ったかはわかっていない。赤人には、下総の真間の手古奈を読んだ歌があるから、東国に赴任したことがあったのだろう。この歌は、その東国への赴任の旅の途中に歌ったのかもしれない。

この時代、富士山は活火山であった。山頂からは常に白煙が立ち上り、天空に聳ゆるその威容は都の人々にも聞こえていただろうと思われる。それなのに、この山を直接に歌った歌は、東歌を含めて数少ない。赤人の歌は、その意味でも貴重なものである。

万葉集巻三雑歌の部から、この歌を取り出して、鑑賞してみよう。

―山部宿禰赤人が不盡山を望てよめる歌一首、また短歌
  天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き
  駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば
  渡る日の 影も隠(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
  白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
  語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は(317)
反歌
  田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける(318)

「天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き」という歌い出しは、人麻呂の儀礼歌のように荘重に聞こえる。赤人は、この名高い山を最もよい角度から見るために田子の浦に立ったのだろう。そこからは、富士の山容が周囲の自然を圧倒して見えたに違いない。大和にあっては決して見られないこの威容を、赤人は人麻呂振りに神格化して歌わずにはいられなかった。

「渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず」とあるのは、山頂から噴出する煙が、日や月の光をも隠してしまうほどすさまじかった様子を詠ったものだ。「白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける」とあるからして、恐らく晩秋か初冬の一日だったのであろう。そんな富士の頂に雪が降っている。そのさまが、富士の威容をいよいよ神さびたものにしている。

赤人は感動のあまり、「語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ」と絶叫する。最小限の言葉の装飾を以て、眼前の威容を最大限に表現しえているのではないだろうか。

短歌のほうも、長歌の言葉を簡潔にリフレインして、感動を再現しえている。先ほど述べたように、今でも人びとに親しまれている歌であり、万葉振りを代表する歌でもある。


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