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フェルメール「牛乳を注ぐ女」国立新美術館で公開


17世紀オランダ絵画の巨匠フェルメールの傑作「牛乳を注ぐ女」が、完成したばかりの国立新美術館で公開された。日頃フェルメールの絵を愛してやまない筆者は、早速乃木坂の美術館まで足を運んだ次第だ。フェルメールの絵を見る楽しみは無論、黒川紀章の設計した美術館がどんなものか、見たくもあったのだ。

地下鉄の乃木坂駅で下りると、通路はそのまま美術館のチケットブースに通じていた。まず外側から建物を見るのではなく、いきなり内部空間の中に入り込んでしまった恰好である。建物は後でゆっくり見るとして、早速展示会場に入った。

展示会は、<フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展>と銘打っているが、実際はフェルメールの絵が中心で、残りは付け足しのようなものだ。だからこの展覧会はフェルメールの絵一点で持っているといっても過言ではない。それにもかかわらず、会場内は見物の客でごった返すほどの盛況を呈していた。

芸術家の中には、世界中に熱狂的なファンを持つものがいるものだ。しかし、たった一点の絵のために、かくも膨大な観客をひきつけるものはそう多くはいないだろう。フェルメールがいかに異常な存在であるか改めて思い知らされた。

フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675) は、レンブラント((Rembrandt Harmenszoon van Rijn, 1606-1669) よりやや遅れてオランダに生まれた。その創作時期からいえば、ほぼ同時代人であったといってよい。ともに風俗画を好んで描き、人物の表情などに時代の精神を盛り込んだ。画風はともに、光と影の強いコントラストを特徴とする。

レンブラントも熱狂的なファンを持つ画家だが、フェルメールはそれとも比較にならぬほど多くの熱狂的ファンを持っているのだろう。その秘密はどこにあるのか。

まず当然のことながら、絵そのものの魅力がある。フェルメールの絵はとにかく明るく、華やかなのだ。明度の高い空間の中で、コントラストを強調することで、濃密な画面を演出している。構図はいたって単純だ。「牛乳を注ぐ女」を一瞥しただけでも、そこに展開している世界は、ひとりの使用人の女が大きくアップされているだけで、装飾的なものは、手前に描かれている牛乳壺やそこから注ぎだされる白い牛乳の躍動感、そしてパンやそれをのせるテーブルといった何気ないものばかりである。この単純な構図の中で、一心に牛乳を注ぐ女のうつむき加減の表情が、見るものにさまざまなことを語りかける。絵が語る言葉は、見るものによって千差万別、ありとあらゆる空想を許容しているのである。

フェルメールは19世紀に至って再発見された画家だが、生前すでに高い評価を得ていたとされる。にもかかわらず、寡作な画家であった。現在自筆のものとして伝わっているのは30数点にすぎない。あるいは消失したものもあったのかもしれないが、レンブラントなどと比べると、生涯に描いた作品が非常に少なかったことは確からしい。このことが、フェルメールの絵に対する異常な渇望につながっているともいえなくはない。

フェルメールの絵の中でもっとも有名なものは「真珠の耳飾りの少女」であろう。暗い背景から浮かび上がった少女の顔は、やや斜めの角度からこちらに視線を向け、見るものに対してなにかを訴えかけているようである。ダ・ヴィンチの絵の連想から、北方のモナリザとも呼ばれる。映画にもなった。

その少女の絵といい、今回の牛乳を注ぐ女の絵といい、わずか10号程度の小さな作品である。それでいて、美術館の広い空間をオーラで満たすほどの迫力を持っている。やはりただものではない。

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筆者の水彩画による「牛乳を注ぐ女」の複写

さて、筆者はフェルメールの作品を鑑賞した後、国立新美術館の建物を建築学的関心から見回してみた。設計者は黒川紀章。つい最近亡くなったばかりだから、この建物は彼にとっての遺作といえる作品である。

行きがかり上、内部空間から見ることになったが、これがなかなか良くできている。平面的には、展示用のスペースと、それに付随するアトリウムからなっている。展示用スペースは3層で、窓のない固いコンクリーの壁に覆われ、東京都美術館などと比較して、シンプルでわかりやすい構造になっている。アトリウムも曲線を多用して、癒しのある空間を演出していた。

外から眺めると、展示棟のコンクリート壁は重厚な感じを与え、正面のアトリウム部分は硝子に覆われながらも、曲線のイメージとグリーンの色合いが、周囲の緑とよく調和している。

黒川紀章という建築家は、国政選挙に打って出たり、先の都知事選に立候補したりと、なにかにつけ特異なパフォーマンスが目立ち、とかく変わり者に見られがちだが、こと建築物の創造に関しては、穏やかな思想の持ち主だったようだ。

ところで、この建物の立っている土地は、直前には文部省所管の生産技術研究所の敷地であったが、それ以前には陸軍第一師団第3連隊、通称麻布連隊のあったところである。(第一連隊は赤坂に、第二連隊は佐倉にあった)アトリウム内の一角には、その連隊兵営の建物のミニチュアが飾られていた。


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