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古代国語の音韻について


日本語の音韻研究のなかで最も画期的な発見は、古代少なくとも奈良時代初期における音韻は現代よりも数が多かったというものである。現代日本語における音韻は、50音表に分類されているとおり、5つの母音と9つの子音を組み合わせたもので、その数45(「ん」を加えると46)となり、これに濁音を加えると66とおりとなるが、奈良時代初期にはそれが87とおりあったというのである。

古代に存在して現代には消滅した音韻がどのようなものであったか、その全容はいまだ明らかでない。橋本進吉博士の研究によれば、それらは、現代とは全く異なった子音が古代にはあったということではなく、現代より複雑な母音の体系がかつて存在したということらしい。

博士の発見したところによると、万葉仮名には、「え、き、け、こ、そ、と、の、ひ、へ、み、め、よ、ろ」の13とおりの音と、その濁音7とおりをあわせた20の音について、甲乙二通りの書き方がある。しかしてそれらは互いに融通しないことから、古代人はこれらを全く異なった音韻としてとらえていたに違いないという。これらのうち、「え」については、ほぼeおよびyeに相当すると思われるが、ほかの音についてはよくわかっていない。

博士はいろいろと推論しているが、可能性の高いものとして、次のような説を唱えている。すなわち、古代においては、母音の数が現代より多かったのではないか、その結果、たとえば「か」行の音は8とおりもあったのではないか。しかし、この説をもってしては、なぜ「か」行が8列あるのに対して、「さ」行は6列なのか、また、そもそも母音そのものである「あ」行が5列しかないのはなぜなのか、という疑問に答えられない。

博士はあまり踏み込んだ言及はしていないが、あるいは、奈良時代初期はそれ以前の時代に比較して音韻構造がだいぶ乱れてきており、古い時代にあっては、各行の音について8列ずつの音が整然と並んでいたのだと考えていたかもしれない。

上記以外に、古代における87の音韻のうち現代と相違しているのは、「ゐ」と「ゑ」であるが、これらの文字はいろは47文字のうちに加えられ、またつい最近まで用いられていたものである。しかし「ゐ」は「い」と、「ゑ」は「え」とそれぞれ発音を同じくするため、長らく異体同音の文字として考えられてきた。

だが、「ゐ」も「ゑ」もそれらが用いられる場所は決まっていて、決して「い」や「え」と混同されることはない。「ゐる」と書けば、それは「居る」の意味であり、「いる」と書けば「入る」の意味になるように、全く違った用い方をされる。また「ゑ」も「据ゑる」、「植ゑる」など特定の言葉についてのみ用いられる。

「ゐ」と「ゑ」について最初に一説を唱えたのは、僧契冲であった。契冲はこれら二つの語はもと「わ」行に属したものであり、それぞれwi weと発音したのだと唱えたのである。橋本進吉博士は、契冲の説をさらに発展させ、太古において、wa wi wu we woという「わ」行の音は唇音であり、唇をすぼめて発する音であったとした。それが時代の下るにつれ、次第に唇を用いることが少なくなり、wiやweは、母音と異なることのない音になってしまった。

「わ」行のうち「を」については、今日なおwoと発音する人もいるようであるが、大方はoと発音している。これをもって見るに、かつて唇音として整然と行列をなしていた「わ」行の音は、「わ」を残してすべて消滅したのである。

ついでに「や」行について述べれば、これもかつては ya yi yu ye yoと整然と一行をなしていた時代があり、奈良時代初期にはyeについて用いられる仮名も存在したが、時代の下るに従い、yi とyeはともに母音と異なることのない音となり、yeはそれを表記するための固有の文字をも失った、こんな推論もできるのである。


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