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音便


日本語の表現を絶えず変化させている原動力として「音便」という作用がある。今日の口語を、昔の日本語と比較すると、形容詞や動詞などの活用に著しい相違を認めるのであるが、これらはほとんど音便作用の結果なのである。卑近な例で言えば、かつての「小さき」は「ちいさい」となり、さらに「ちっちゃい」というふうに変化している。また、「ござります」は「ございます」となり、「ござんす」という表現まで生むに至った。このような変化は、名詞においても見られる。(たとえば「朔日」は「つきたち」から「ついたち」へと)

橋本進吉博士によれば、日本語において音便が盛んになるのは平安時代である。ようやく民衆に浸透しつつあった漢語の影響もあって、この時期、拗音や促音といったものも生まれた。いづれも、日本語のあり方を大きく変化させていくのであるが、音便については、それ以前の時代から、日本語に作用していたものと思われている。

たとえば、「なり」、「たり」という助動詞は、日本語にとって基本となる言葉であり、すでに奈良時代において定着していたものであるが、もとをたどれば、「にあり」、「とあり」であったものが、音便によって変化したと考えられるのである。

平安時代に生じた音便を詳細に分析すると、「築地=ツキヂ」が「ツイヂ」に変わる「い音便」、「弟=オトヒト」が「オトウト」に変わる「う音便」、「願ひて」が「ネガッテ」に変わる「促音便」、「いかに」が「イカン」に変わる「ん=撥音便」というように、多彩な部分で起きている。

「い音便」は、主に「か」行、「が」行の動詞や形容詞において生じた。「咲きて」が「さいて」、「急ぎて」が「いそいで」、「美しき」が「うつくしい」等である。この類の言葉は日本語には多くあったので、日常の言語にはもっとも大きな影響を及ぼしたと考えられる。

「う音便」は、主に「は」行の音において起こった。名詞の「オトウト」のような例のほか、「匂ひて」が「にほうて」になった類である。しかし、それらのほとんどは長続きせず、やがて促音便や撥音便へと再変化するようになった。

なお、「う音便」には「懐かしく」を「なつかしう」のように、「く」から「う」に転じる例もある。これは東京言葉には、今ではあまり聞かれなくなったが、西日本においては頻度高く使われているようである。また、「あるらむ」や「行かん」のような言葉は、「あろう」、「いこう」と転じて、今日でも広く用いられている。

「促音便」は、「た」行の音(発ちて→たって)、「ら」行の音(欲りす→ほっす)において起こったほか、「う音便」がさらに変化してできた例もある。(願ひて→ねがうて→ねがって)前二者に比べれば、遅れて生じた現象である。

「撥音便」はやや複雑な様相を呈している。まず、「な」行の音については、「死にし子」が「しんじ子」という具合に自然と音便が起きた。また、促音便と同様、「う音便」から再変化した者がある、(読みて→ようで→よんで)。このほか、推量の助動詞「あんめり」や「涙=なんだ」のように、表記上は「あめり」や「なだ」と「ん」の文字を省いている例がある。これは、「ん」が音としては一人前の者として認知されなかった時代の名残なのであろう。「ん」の文字が使われる以前には、文字そのものを省いて表記するか、あるいは代わりに「う」の文字をあてたことも考えられ、「う音便」と「撥音便」の関係はいまひとつ明らかでない。


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