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アナクサゴラス:ヌースの原理


アナクサゴラスはアテナイに哲学をもたらした人である。その学説はイオニアの自然学の伝統に立ち、科学的精神に満ちたものだった。そこをペリクレスに買われ、アテナイに智恵あるものとして招かれたという。かれは生涯のうち30年間をアテナイで過ごしたが、最後はアテナイ市民によって裁かれ追放された。

アナクサゴラスの影響はピタゴラスやパルメニデスに比較して重要でないとはいえ、ソクラテスを通じてプラトンやアリストテレスにも流れていった。

アナクサゴラスの説のユニークな点は二つある。

まず、世界を構成する元素についての考え方である。すでにエンペドクレスがイオニア自然学の伝統を押し進めて、元素を4つであるとしていたが、アナクサゴラスはさらに考えを進め、世界を構成している元素はそれに留まらず、無限ではないにしても、数えることができないほど多くあるとした。たとえば火は火の元素が多く含まれてなりたっており、人間の皮膚や髪の毛には皮膚や髪の毛の元素が多く含まれている。これらの元素は無限に分割可能で、さまざまな物質にさまざまな割合で含まれている。だから金属のうちでも、金の成分が余計に含まれているものは金となり、鉄の部分が多く含まれているものは鉄となる。

このように、世界の構成要素を無限に分割可能な多数の元素に分解する考えは、原子論的な思想に近いものがある。

次に、エンペドクレスの提出した始動因という思想について、アナクサゴラスは一歩考え方を進めた。エンペドクレスの唱えた始動因とは、世界に生起する現象に目的論的な解釈を施したものである。エンペドクレス自身はそれを、愛と憎しみであるとしたが、アナクサゴラスはそれをヌースであるとしたのであった。

ヌースとは理性を意味し、精神的な印象を与える言葉である。若きソクラテスはこの説に接して、アナクサゴラスが始めて、哲学に精神的な原理をもちこんだのではないかと受け止めた。しかしその説を掘り下げるにつれて裏切られたような感じになった。

というのも、アナクサゴラスのいうヌースとは、字面上では精神的な意義を持つ言葉ではあるが、アナクサゴラスはそれを精神的なものとしては使っていなかったからである。

ヌースはたしかに一方では、生きているものを生かしめているそもそもの原理、つまり精神であるととらえられてはいるが、他方では、さまざまな元素が結合してさまざまな物質を作り上げる、その始動因としても考えられている。

アナクサゴラスがヌースという言葉によって説明したかったのは、事柄にとって、それを動かすものが精神的な原理であるということではなかった。むしろ力学的、機械論的な力が物事の因果の要因となる、その要因をなすものこそヌースなのだということだった。

アナクサゴラスのこうした自然主義的な傾向は、かれがイオニアの人であったということに由来している。イオニアはタレス以来、世界を成り立たしめている原理を求めてきたが、そこには科学的な態度が流れていた。イオニアの自然学に共通しているのは、事物を事物そのものによって説明せしめようという態度であり、精神のような外的な原理に基づいて説明しようとすることは、自然学の精神から逸脱するものと思われていたのであろう。

アナクサゴラスはイオニアのクラゾメナイに生まれた。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、生まれのよさでも財産の点でもぬきんでていたが、世俗的なことには関心を持たず、自然の研究に生涯を捧げた。或る時、「君は祖国のことが少しも気にならないのか」と尋ねられると、指で天を指しながら、「口を謹んでくれたまえ、わたしには祖国のことが大いに気がかりなのだ」と答えたそうである。かれにとって祖国とは、自分の生まれた小さな土地ではなく、世界そのものであったのだ。そんな彼を、ティモンは次のように歌っている。

  アナクサゴラスは力強い英雄で、ヌースと呼ばれていたそうだ
  というのも、彼には知性がそなわっていて、その知性は突然目覚めると
  無秩序の状態にあった万物をしっかりと結びつけたのだから

アナクサゴラスの科学的精神は、いくつかの偉大な発見をもたらした。月が太陽からの光を反射して輝いていると説明したのは彼が始めてである。また、太陽や星は火の石であるが、われわれがそれを感じないのは、それらがあまりにも遠くにあるからだと説明した。彼はまた、太陽はペロポネソス半島よりも大きいといった。
     
アナクサゴラスは晩年になって、アテナイの市民から訴追を受けた。その理由は、「太陽は灼熱した金属のかたまりである」と主張したことにあった。アテナイの市民には、彼は太陽の神聖を冒涜する不敬の者として映ったようだ。

アナクサゴラスはペリクレスの尽力によって死刑を免れた代わりに、アテナイからの追放処分を受けた。一説によれば、彼は最後にはイオニアのランプサコスに赴き、そこで学校を建てた。彼の業績に感謝したランプサコスの人々は、彼の死に臨んで、あなたの記念に国家をあげて何か行いたいと思うが、何を希望されるかと尋ねた。すると、アナクサゴラスは、自分が死んだ月には、子どもたちが毎日休暇をとれるようにして欲しいと答えた。それ故、ランプサコスの子どもたちは今でも、彼の死んだ月には学校に行くこともせず、毎日遊び暮らしているのである、こうディオゲネス・ラエルティオスは伝えている。

また、アナクサゴラスの死後、ランプサコスの人々は彼を手厚く葬り、その墓に次のように記したという。

  はるか宇宙の果てにまで真理を追い求めた後
  アナクサゴラスはここに眠る


関連リンク: 知の快楽

  • タレス:最初の哲学者

  • ピタゴラス:合理と非合理

  • ヘラクレイトス:万物流転の思想

  • パルメニデス:形而上学の創始者

  • エレアのゼノン:逆説と詭弁

  • エンペドクレス:多元論的世界観

  • レウキッポスとデモクリトス:原子論的世界観

  • プロタゴラスとソフィストたち
  • ソクラテスとは何者か

  • プラトン哲学の諸源泉






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