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笠郎女:家持との恋の歌(万葉集を読む)


大伴家持は、正妻の坂上大嬢や若い頃に死んだ妾の他にも、多くの女性と恋の駆け引きを演じた。家持は自ら女好きの男であったとともに、女性からも好かれるタイプだったらしい。そんな家持が、何人かの女性との間に交わした相聞歌が万葉集に載せられている。家持の愛した女性たちには、優れた歌い手が連なっていたのである。

家持と相聞の歌を交わした女性としては、紀女郎や平群の女などいくつかの名があげられるが、歌の技量の点では、笠郎女がもっとも優れている。

その笠郎女が大伴家持に贈った歌が、万葉集巻三譬喩歌の部に収められている。

―笠郎女が大伴宿禰家持に贈れる歌三首
  託馬野(つくまぬ)に生ふる紫草衣染め未だ着ずして色に出にけり(395)
  陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆちふものを(396)
  奥山の磐本菅(いはもとすげ)を根深めて結びし心忘れかねつも(397)

譬喩歌とは、物事に喩えて人や人の感情を詠んだ歌である。笠郎女は、これらの歌で地名に喩えて自分の感情を詠んだ。託馬野といい、陸奥の真野といい、実際に行ったことのある土地とは思えないが、彼女はこれらの地名から連想した感情を歌にした。

託馬野は、恐らく紫草で知られていたのであろう。その草を以て衣を染めてみたが、それが染まる間もなく、私の恋心は色に出てしまいました。(395)の歌は、こう歌うところからみて、恋の始まる頃に歌われたものであろうか。

(396),(397)の歌も、それぞれに、地名がもたらすイメージを、恋の思いに事寄せて歌っている。この女性は、感情の起伏豊かな人であったらしい。

万葉集巻四には、笠郎女が折々に家持に贈った歌が一括して載せられている。これらの歌について、少しずつ読み解いていきたいと思う。

―笠女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌廿四首
  我が形見見つつ偲はせ荒玉の年の緒長く我も偲はむ(587)
  白鳥の飛羽(とば)山松の待ちつつぞ吾(あ)が恋ひ渡るこの月ごろを(588)

まず、最初の二首を読んでみよう。我が形見とは何をさすかよくわからないが、それをみて私のことをいつでも思い出してください、一首目はそう歌っている。また、二首目には男の訪れを待ちわびる女心がよく表れている。趣旨からして、二人の恋が始まった頃の歌であろうと思われる。

  衣手を折り廻(た)む里にある吾を知らずぞ人は待てど来ずける(589)
  あら玉の年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告(の)らすな(590)
  我が思ひを人に知らせや玉くしげ開きあけつと夢(いめ)にし見ゆる(591)
  闇の夜に鳴くなる鶴の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに(592)

家持と笠郎女がどのようにして愛し合うようになったか、詳しくはわからない。郎女はその名からして、笠金村と同族の女だったのかもしれない。金村はそう高い地位の人ではなかったから、郎女もまた低い身分で宮廷に仕えていたのであろう。対して家持は若い頃から、いわばエリートであった。そんな男に寄せる女の切ない気持ちが、これらの歌からは伺われる。

(590),(591)の歌では、我が名を人に知られることへの不安が語られているようにも思える。郎女の家持との恋は、あるいは不倫の恋であったのだろうか。家持は紀郎女との間でも、不倫の恋をしているから、笠郎女との間も、そうであったのかもしれない。

  君に恋ひ甚(いた)もすべ無み奈良山の小松がもとに立ち嘆くかも(593)
  我が屋戸の夕蔭草の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも(594)
  我が命の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも(595)
  八百日(やほか)往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖つ島守(596)

不倫の恋ではあったかもしれないが、郎女の家持を思う心は次第に高まっていく。これらの歌には、恋に焦がれる女の心が切なく表れ出ている。

  うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひ渡るかも(597)
  恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異(け)に(598)
  朝霧の鬱(おほ)に相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも(599)
  伊勢の海の磯もとどろに寄する波畏き人に恋ひ渡るかも(600)

男を思い焦がれる女の恋情が、「恋ひ渡るかも」という激しい言葉を繰り返すことに伺われる。この時代の女は、思い人をただ待ち続けるだけの存在であったから、恋情の激しさは男を待つ時間の中で濃縮されていったのであろう。

  心ゆも吾は思(も)はざりき山河も隔たらなくにかく恋ひむとは(601)
  夕されば物思(も)ひ増さる見し人の言問ふ姿面影にして(602)
  思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我は死に還らまし(603)
  剣太刀身に取り添ふと夢に見つ何の徴(しるし)そも君に逢はむため(604)
  天地の神し理(ことわり)無くばこそ我が思(も)ふ君に逢はず死にせめ(605)
  我も思ふ人もな忘れ多奈和丹浦吹く風のやむ時無かれ(606)
  人皆を寝よとの鐘は打つなれど君をし思(も)へば眠(い)ねがてぬかも(607)

しかして、男を思う笠郎女の気持は激情にまで高まったもののようである。「心ゆも吾は思はざりき」、「千たびぞ我は死に還らまし」、「逢はず死にせめ」といった言葉には、自分の感情をもてあますほどの激情が溢れ出ている。

家持の煮えきらぬ態度に対に激情したのであろうか、笠郎女は激情のあまりに次のような言葉を吐く。

  相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後(しりへ)に額(ぬか)づく如し(608)

私の方ではこんなにも恋焦がれているのに、あの人は涼しい顔をして私の心をもてあそんでいる。自分を大切にしてくれない男を思うのは、餓鬼の背中に向かって額づくようなものだ。こう笠郎女は嘆き、報われない恋をいらだたしく思ったのかもしれない。

それにしても、すさまじい情念というほかはない。笠郎女という女性は、気性の激しい、まっすぐな性格の人であったらしい。

  心ゆも我(あ)は思(も)はざりき又更に我が故郷に還り来むとは(609)
  近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかてましも(610)
右の二首は、相別(わか)れて後また来贈(おく)れるなり。

笠郎女と大伴家持の間の恋は、いつの日か終ったものと見える。家持の性格からして、男のほうから去っていったものと思われる。この二首は、別れの後に郎女が歌ったものだが、そこには女の未練のようなものがにじみ出ている。

笠郎女は、家持によって捨てられた痛手を、これらの歌に詠み込んだのかも知れない。

―大伴宿禰家持が和ふる歌二首
  今更に妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸欝悒(おほほ)しからむ(611)
  中々に黙(もだ)もあらましを何すとか相見始めけむ遂げざらなくに(612)

上の二首は、家持が笠郎女に返したものである。恐らく別れた後のことだろう。「中々に黙もあらましを」とは、過ぎ去ったことにつては、いつまでもこだわっていないで、忘れてしまいなさいという気持ちが表れているようである。

家持にしてみれば、もう沢山だということだったろうか。

万葉集巻八にも、笠郎女の歌が収められている。

―笠女郎が大伴家持に贈れる歌一首
  水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも(1451)

―笠女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌一首
  朝ごとに見る我が屋戸の*撫子が花にも君はありこせぬかも(1616)

この二首が、先の一連の歌と、歌われた時期や事情についてどのような関係にあるのかはわからない。だが、男を愛する女の気持が素直に表れていて、やはりすばらしい歌といえる。


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