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東歌の世界(万葉集を読む)


万葉集巻十四には、東歌として、東国各地の歌が集められている。これらの歌がどのようにして集められ、万葉集に収められるに至ったか、そのいきさつは明らかでないが、恐らく中央から派遣された国司たちによって、集められたのであろう。常陸風土記など、風土記の編纂がそのきっかけになったのかもしれない。

大化の改新後、律令制度が行き渡るのに伴い、東国の各国にも、中央から国司が派遣された。国司たちは、地方の豪族たちを手足に使い、律令政治の末端をになった。地方の豪族たちは殿と呼ばれ、その子女の中には舎人や采女となって宮廷に仕える者もあった。また、地方の農民たちには、仕丁などといった労役が課されたほか、防人として西辺の防備に駆り出された者もいた。

当時における東国の民衆の生活は、豪族を中心にした一種の共同体のようなものだったとする説が有力である。律令制のもとでは、公民公田といって、国民のすべては宮廷に直属しているのが建前ではあったが、事実上の社会生活においては、豪族層が中間の支配層となって、民衆の生活を取り纏めていたらしい。

各国に派遣された国司たちは、その豪族の力を利用しながら、朝廷の意を体して統治にあたったのである。

万葉集に収められた東歌は、そんな東国の民衆の生活と感情を生き生きと歌っている。若い男女や夫婦の間の情愛、農民の娘と殿の息子との恋、生活に根ざした労働の歌など色様々ななかに、圧倒的に多いのは、恋の歌である。

ここでは、万葉集巻十四に収められた多くの東歌の中から、いくつかを取り出して鑑賞してみたいと思う。

   夏麻(なつそ)引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむさ夜ふけにけり(3348)

東歌の最初を飾るこの歌は、上総国の歌と詞書にある。そこの海上潟の沖にある洲に船を泊めよう、もう夜も更けてしまったという単純な歌である。斉藤茂吉は、似たような歌と比較しながら、この歌の背景をあれこれと考察しているが、そういう背景を抜きにして、東歌には、生活や恋をさりげなく詠んだものが多い。この歌などは、飾り気のない中に日々の労働を詠んでいるという点で、東歌の最初にあってもおかしくない歌なのである。

   筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しき児ろが衣(にぬ)乾さるかも(3351)

これは常陸の歌である。筑波峰に雪が降っているかと思えばそうではない、あの可愛い子が雪のように白い布を干しているのだろう、という意である。何のこともない歌のようだが、言葉の調子が軽く運んで、思わず口ずさみたくなるような歌である。

「振れる」を「振らる」、「乾せる」を「乾さる」というのは、東国の方言であったらしい。衣を「にぬ」というのも、「きぬ」の方言らしい。

筑波といえば、東国でも名うての歌垣の名所。万葉集には歌垣を読んだものもいくつか収められている。

   信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声きけば時過ぎにけり(3352)
   信濃路は今の墾(はり)道刈株に足踏ましむなくつ履け我が夫(3399)

この二首は信濃の歌である。一首目は、荒野にホトトギスの声がするのを聞いて、もう夏になったのだと実感する詠嘆の歌である。茂吉はこの詠嘆のうちに、恋の思いを読み取っている。筆者にはそこまでは思い浮かばなかったが、季節の移り変わりの中に、人の生活や感情の移ろいを重ねあわすことは、不自然ではない。

二首目は夫を気遣う妻の思いを歌ったものだろう。靴履け我が夫と呼びかけているところが、なかなかよい感じだ。

富士の嶺のいや遠長き山道をも妹がりとへば気(け)に吟(よ)ばず来ぬ(3356)
   さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと(3358)
   駿河の海磯辺(おしへ)に生ふる浜つづら汝を頼み母にたがひぬ(3359)

この三首は駿河の歌である。先の二首は、恋の思いを富士の高嶺に喩えているところが、いかにも駿河の歌らしい。

三首目は、母に背いてまであなたに恋ふることよと、夫と母とを秤にかけるような口ぶりである。当時の東国は、畿内以上に母性社会の名残が強く残っていたらしく、母と娘の関係は家族関係の中でも非常に絆の強いものであったらしい。

   足柄の彼面此面(をてもこのも)にさす罠のか鳴る間静み子ろ吾紐解く(3361)
   あしがりの麻萬(まま)の子菅の菅枕あぜか纏(ま)かさむ子ろせ手枕(3369)
  
この二首は相模の歌である。「をてもこのも」とは東国訛りの言葉だろう。大伴家持が「あしひきのをてもこのもに」と歌ったのは、東国訛りで洒落て見せたものだろう。あちこちにめぐらした罠のなる音が静まった、あたりには誰もいない証拠だから、さあ、互いに紐を解いて楽しもうというのが一首の意とするところで、朴訥ながらも恋の歌である。二首目もやはり、同じような恋の歌で、「子ろ」と呼びかけているのは、「子ら」と同じく、「お前」というほどの意味であろう。

   多摩川に曝す手作りさらさらに何そこの子のここだ愛(かな)しき(3373)
   武藏野の小岫が雉(きぎし)立ち別れ去にし宵より夫ろに逢はなふよ(3375)
   入間道の大家が原のいはゐづら引かばぬるぬる我(わ)にな絶えそね(3378)
   埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね(3380)

この四首は武蔵の歌である。「多摩川に」の歌は、川の水に手作りの布をさらす乙女の働きぶりに重ねて、恋の感情を詠んでいる。「さらさらに」は水の流れをいうとともに、男の感情が「更に更に」高まるさまをかけている。「ここだ」は「こんなにも」という意味で、男の感情の抑えきれない様子が表されている。多摩川の水の流れのように清々しい歌である。

二首目の意は、雉の立ち別れのように夫と別れて以来、今まで会うことができずにいるよと、別離を悲しむところにある。三首目は、蔓を引くとぬるぬるとまとわり付くように、いつまでも私に寄り添っておくれとの意、四首目も、いつまでもいつまでも、私に言い寄っておくれという意で、両者とも女心をうたったものであろう。

   馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我来なば汝は恋ふばそも(3382)

これは上総の歌である。笹の葉の露霜に濡れながらあなたを訪ねたならば、あなたは私を慕ってくれるだろうかと、男の情を歌ったものだろう。

   にほ鳥の葛飾早稲を饗(にへ)すともその愛しきを外に立てめやも(3386)

これは下総の歌である。にほ鳥は水鳥のかいつぶりのこと。水に潜くところから葛飾の枕詞となった。そこの早稲を新嘗の祭に捧げるにあたり、私は潔斎して身を浄め、無論男気も絶っていますが、あなたのためならいつまでも外には待たせておきませんよ、と男に向かって媚を売った歌である。「その愛しき」とは、私の愛するその人というほどの意味。男女の睦まじさを感じさせる素直な歌といえる。

   上毛野安蘇の真麻屯(まそむら)かき抱き寝れど飽かぬをあどか吾がせむ(3404)
   伊香保ろの傍(そひ)の榛原ねもころに奥をな兼ねそまさかし良かば(3410)
   伊香保ろの八尺の堰塞(ゐて)に立つ虹の顕(あら)はろまてもさ寝をさ寝てば(3414)
   上毛野佐野の舟橋取り離し親は放(さ)くれど我(わ)は離(さか)るがへ(3420)
   伊香保嶺に雷(かみ)な鳴りそね我が上には故は無けども子らによりてそ(3421)

この五首は上毛野の歌である。一首目は、真麻のたばを抱きかかえるようにして、お前を抱いても飽きるということがない、この気持ちをどうしたらよいか、という気持ちを詠んだもので、労働歌の中に恋の情をこめたものか。

伊香保ろの「ろ」は調子をとるための接尾語のようなもので、東国の方言であった。四首目にある佐野の船橋は、古来有名であったとみえ、船を渡してこしらえた橋といえば、自ずと佐野の船橋が連想された。

   都武賀野に鈴が音聞こゆ上志太の殿の仲子(なかち)し鳥猟すらしも(3438)
   庭にたつ麻布小衾(あさてこぶすま)今宵だに夫寄しこせね麻布小衾(3454)

この二首は雑歌の部にある歌である。国については触れていない。「都武賀野に鈴が音聞こゆ」とあるのは、鷹狩に使う鷹の足につけた鈴が鳴るという意、殿つまり豪族の息子が鷹を使っての鳥猟を楽しんでいたのであろう、それを聞いた乙女がひそかに恋心を抱いたのかもしれない

二首目にある「麻布小衾」とは麻で作った布団のこと、朝は庭で作られることが多かったから、「庭に立つ」が麻の枕詞になった、ここではその布団に向かって、今宵こそは夫を連れてきておくれと、切ない心を詠んだところだろう。

以下の歌は相聞の部にあり、やはり国については触れていない。

   汝兄の子や鳥の岡道し中手折(だを)れ吾を音し泣くよ息づくまてに(3458)

女が男の心変わりをなじった歌と思われる。岡道の曲がるように、あなたの心も他のほうへと曲がっていってしまった、と乙女は嘆いているのだろう。

   稲舂けば皹(かか)る吾が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆かむ(3459)

「皹る」とは手にひびが入ること、あかぎれともいう。稲をついた手にこんなにあかぎれができてしまった、あの方が、その手を見てお嘆きになるかもしれない、はずかしい、といったところか、乙女心がにじみ出た良い歌である。

   誰そこの屋の戸押そぶる新嘗に我が夫を遣りて斎(いは)ふこの戸を(3460)

この歌は、新嘗の祭の夜の夜這いを詠んだものと思われる。新嘗に際しては、妻は夫を送り出した後、潔斎して家に閉じこもった。そこをほかの男が忍び込んで夜這いを仕掛けることが公然とあったようだ。この歌では、女は忍び込んだ男を拒絶している。そこがこの歌の面白さとなっている。
  
   高麗錦紐解き放けて寝るが上(へ)にあどせろとかもあやに愛しき(3465)

「紐解き放けて寝る」というのは、長い別れの後、やっと会えた夫婦が互いに下紐を解いて寝るという意。当時、夫婦が何かの理由で長く別れなければならなかったときに、別れに臨んで下紐を固く結び、浮気をしないと誓った。

   奥山の真木の板戸(いたと)をとどとして我が開かむに入り来て寝(な)さね

女が男に呼びかけた歌。私のほうから、板戸をとどろかして開けますから、遠慮しないで中に入って、私と一緒に寝ましょうという意。

   夕占にも今宵と告らろ我が夫なはあぜそも今宵依ろ来まさぬ(3469)
   麻苧らを麻笥に多(ふすさ)に績まずとも明日着せざめやいざせ小床に(3484)

「着せざめや」とは「着なさるだろうか、そうではあるまい」という意。明日着るでもない衣のために、そんなに精魂詰めて麻を績むのはやめて、さあ、一緒に寝ましょうと、恋人を床に誘った歌か。

   柳こそ伐(き)れば生えすれ世の人の恋に死なむを如何にせよとそ(3491)

柳の枝は切られてもまた生えてきますが、わたしの心は一度折れたらそうはまいりませぬ、あなたのためだけに生きるはかないものなのです、という意。恐らく女が男に贈ったものだろう。

   汝が母に嘖(こ)られ吾は行く青雲の出で来(こ)我妹子相見て行かむ(3519)

娘の母親に拒絶された若者の歌であろう。娘の婚姻については、母親の意向が大きかったから、その母親に拒絶された男はいたく絶望したに違いない。

   悩ましけ人妻かもよ榜ぐ舟の忘れはせなないや思(も)ひ増すに(3557)

「悩ましけ」は「悩ましき」の東国方言。人妻と寝た後の男の詠嘆の歌だろう。亭主がいるからといって、亭主可愛さに俺のことを忘れたりしないでおくれ、俺のほうではお前がいつまでも忘れられない。一見身勝手な歌ではあるが、古代東国における自由な男女関係が伺われて、面白いところがある。


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