銀行の金融デリバティブ商品にあえぐ中小企業

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円高が進行する中で、かつて中小企業が銀行から買わされた為替関連の金融デリバティブ商品に大きな損失が出ている。体力の弱い中小企業にとっては、経営を圧迫する要因ともなっているが、なかなか解約できないでいる。解約できたとしても、高い解約金を取られることは無論、契約先の銀行から融資を引き上げると脅かされたり、不利な事態にさらされているというから、深刻な話というべきだ。

この金融デリバティブ商品は、1ドル=110~120円だった2004~2007年ごろに、さらに円安が進むと損が膨らむからと、銀行が輸入関連の中小企業にせっせと売ったものだ。代表的なケースでいうと、契約期間が10年ほどで固定され、その間は、たとえば1ドル=100円で、企業が銀行からドルを買う義務を負うというものだ。円が100円より安い水準である場合は、これは企業側に有利になるが、100円を超えて円高が進むと、その超えた部分だけ、企業側が損をする(銀行が儲ける)ことになる。

実際には、この数年間は一本調子で円高が進んだわけだから、買わされた中小企業は損をしっぱなしだったわけだ。銀行は、円安だったら企業が儲かったはずなのだから、円高になって損をしたからと言って、文句を言う筋合いはないといっているそうだが、中小企業からすれば、他の言い分もあるということらしい。

というのも、この金融デリバティブ商品は、銀行から無理に買わされたというケースが殆どで、買わされた側からすれば、融資とセットで購入を強要され、買わなければ融資が受けられなかったり、他の取引で嫌がらせをされたりが怖く、とても断れる状況ではなかった、ということらしいのだ。

銀行がこんな博打みたいな商品の開発を思いついたのは、無論金融緩和の結果だ。当時、銀行は公的資金を返済するために、遮二無二利益を上げようとして、一方では貸し渋りを行いながら、他方では危ないデリバティブ商品を開発しては、それを弱い立場の取引相手に売り込んだわけである。

つまりその当時の銀行は、金融機関としての本来の使命を果たさず、危ない博打に血眼をあげていたということであり、自分は博打の胴元に収まりながら、多くの中小企業に博打のプレーヤーを、むりやりさせていたということだ。

これでは、銀行は社会の公器ですとは、とても言えたものではない。





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このページは、が2012年6月 7日 20:30に書いたブログ記事です。

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