学生時代からの友人Yがくも膜下出血で倒れたというので、共通の友人O、Mの二子とともに大田区にある荏原病院まで見舞いに行った。東急池上線の洗足池駅でおりて、池の反対側の小さな流れに沿った道を歩く。この道は桜並木になっていて、四月の初旬には見事な光景が出現するはずだ。
病院で二人と落ち合い、病室に行くと、Yが細君ともども待っていた。案じていたよりずっと元気そうだ。待合室で、倒れたときの状況や、入院生活のことについて聞く。倒れたのは職場の中で、まわりに大勢人がいたので、すぐさま職場付近の病院に運んでもらった。そこですぐに脳血管障害の診断が下されて、ここに運ばれ、手術が行われたおかげで、比較的軽症ですんだ。発見が遅れていたり、病院の診断に手間取っていたら、もっと深刻な事態になったかもしれない、というわけで、まあ、不幸中の幸いということになった。
この調子なら、順調に回復し、職場復帰はもとより、一緒に飲んだり旅行したりする機会も、思ったより早く訪れるかもしれない。
辞去後三人で洗足池を散策した。この池は湧水がたまってできたもので、その昔日蓮上人が足を洗ったことからこの名がついたという。そういえば日蓮上人は晩年を池上本門寺で過ごしたから、この池にも足繁く来たであろうことは想像できる。
池の反対側に八幡神社があり、その近くに勝海舟夫妻の墓がある。墓域内に立ち入って見ると、石塔がふたつ仲良く並んで立っている。右側の石には「海舟墓」とあっさり記してある。左側の石には「勝海舟室」と彫ってある。Mの講釈によれば、勝夫人は夫と不仲で、同じ墓には入りたくないといっていたそうだ。生前勝手きままなことばかりで、さんざん泣かされたから、死んでまで一緒にいたくないということだったらしい。
そこで、海舟の不行跡はわかるけれど、妾がいたわけではないのだろう、と聞くと、いやいや妾がいたばかりか、海舟の女遊びは半端なものじゃなかった、そこがまた面白い、海舟は犬にキンタマを噛みつかれたことがあったが、それがどう作用したか、俄に精力絶倫の具合にあいなって、しょっちゅう女の尻を追いかけまわすようになったそうだよ、とMがいう。ふうん、そうだったのか。
海舟夫妻の墓の隣りに、西郷南洲留魂碑というものが立っている。これはどういうわけかと思ったら、やはりMが解説してくれた。勝は池上本門寺で西郷と会談して以来、西郷が好きになって互いに行き来をするようになった。西郷が西南戦争で死ぬと、同じ逆賊の境遇から大いに同情を寄せ、西郷のために慰霊碑を作ってやったのだよ、と。
この二人を記念するものがこうして洗足池のほとりに並んでいるのは、勝の晩年の別邸がこの池のほとりにあったことに由来しているのだそうだ。なるほど。
帰途五反田で途中下車し、三人で遅ればせの新年会を催した。長州産の大吟醸酒をちびりちびりやりながら、Yの様態が一段落したら、細君ともども温泉旅行にさそってやろう、と語り合った次第であった。彼らは勝夫妻とは違って仲がいいようだから、と。