ブリューゲルの版画「大風景画」シリーズには、宗教的な題材のものが3作品ある。この作品「荒野の聖ヒエロニムス」はそのうちのひとつ、1555年ころのものだ。
ヒエロニムス伝説といえば、舞台はシリアの砂漠で、瞑想しているヒエロニムスの前に苦しげな顔をしたライオンが現れ、哀れに思ったヒエロニムスがライオンの足に刺さったとげを抜いてやるということになっている。あのレオナルド・ダ・ヴィンチも、それをテーマにした絵を描いているほか、多くの画家が好んで取り上げた。人々なじみの画題であるといってよい。
ところがブリューゲルは、それに自己流の解釈を施して、自分独自のものを描き上げた。
まず舞台は砂漠ではなく、山とその麓に広がる平野であり、平野の中には広い川が流れている。そして聖ヒエロニムスとライオンは、それまでの絵のように画面の中心を占めるのではなく、前景右手に目立たなく描かれている。ライオンはすでに棘を抜いてもらったあとなのか、寝そべるようにしてくつろいでいるし、ヒエロニムスはその傍らで書物に読みふけっている。
つまりこの絵は、ブリューゲル得意の風景画の構図の中に、聖ヒエロニムスとライオンを、申し訳程度に描き加えたものにすぎない。ライオンがいるおかげで、この絵が聖ヒエロニムスを描いているのだと、当時の人々はかろうじて気づいたことだろうが、聖ヒエロニムスの宗教的なテーマがこの絵の中心モチーフだとは思わなかったろう。
あのダ・ヴィンチでさえ、敬虔な感情をこめてこのテーマを描いたと思われるのに、ブリューゲルはかくもあっさりと描き終えている。彼にとっては、従来のような宗教画が価値のあるものとは思えなかったのだ。
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