発足したばかりの麻生政権を評して、朝日新聞の天声人語子が「桜鯛内閣」などと形容し、大方の失笑を買ったばかりだが、政権内部から早速、これに祝儀を添えるような事態が起きた。某国土交通大臣の一連の迷走ぶりだ。
まず空港建設を所管する大臣として、成田空港周辺の地権者について「ごね得」と発言して物議をかもし、ついで「日本は内向きな単一民族」などとわけのわからぬことをいって、アイヌの人たちの怒りを買った。
人の怒りなど何のその、この男の舌鋒は一向に納まらず、話題が日本の教育のことに及ぶと、「日本の教育をダメにしたのは日教組だ、日教組をぶっ潰せ」と意気を吐いた。
ここまでは、まあいいだろう。誰しも信念はあるものだし、その信念を吐くことにやましさを感じる必要はない。だがまずかったのは、国務大臣という重要な公職にありながら、それをわきまえずに、だらしなく発言したことだ。
当然のことながらジャーナリズムがこの発言を問題にした。野党の諸君も、麻生政権を攻める絶好の材料とばかり、この発言をとらえて首相の任命責任を問題にしだした。すると当の大臣は、おそそを咎められた悪童のように恐れ入り、一旦は陳謝して、大臣の椅子にしがみついていたいとの姿勢を示した。
ところが一夜明けると、昨日までのことはすっかり忘れてしまったらしい。「日教組はガン」発言を蒸し返して、先の陳謝は政治家としての本意ではなかったと言い出した。
一旦は謝ってみたものの、そんなに咎められることもなかったし、この際、素顔で通してしまえと思ったのだろう。怖い親父が海外遊説のため日本におらず、親身になって忠告する人がいなかったからかもしれない。
テレビに映された男の顔をみて、関係者はもとより国民の大部分が、唖然としたというよりは、情けなくなったのではないか。これが我が国を代表する大臣の顔なのかと。
天声人語子がいうように、食い残した半身の鯛をひっくり返して国民の前に出してみたものの、その端っこのほうの身が、重力に逆らえずにこぼれ落ちた格好だ。野党はもとより国民の代表を自負するジャーナリストたちも、看板に偽りがあるといって、永田町の割烹料理屋「あそう」に苦言を呈し続けるだろう。
それにしても、「日教組はガン」だとは面白い発言だ。この男によれば、日本の教育の現状は惨憺たるありさまで、その犯人は日教組だということらしい。先日世間を騒がせた大分の教員採用を巡る不正事件も、日教組の連中に責任があるとの言い分だ。
だが普通の人の感覚では、あの事件は、県の教育委員会の幹部たちが引き起こしたことだろう。テレビ放送はじめ報道機関が流す情報によっても、教育委員会の幹部たちに蔓延している腐敗体質が、あの事件を引き起こしたのだと、人びとに認識させているのではないか。それが何故今になって、日教組の責任論が飛び出てくるのか。
何事につけ、責任論を云々するのは、悪いことではない。日本の官僚社会は昔から職務責任にあいまいなところがあるから、この際大いに論議したほうが良い。
しかし責任を論議する際に重要なことは、どんな事態に対して、誰が責任を持っているかということだ。大分県の例で言えば、それは教育委員会のトップを始めとした教育行政の責任者の責任を問うことだろう。日教組を持ち出すのはかまわないが、それでもって真の責任者の責任をあいまいにするのは許されない行為だ。
日本をだめにしているガンは、責任を果たそうとしないで、私利私欲に走っている連中なのだということを、忘れるべきではない。その私利私欲の中には、不祥事の責任を他人に転嫁したり、職務を全うすることが自分の責任だなどとわけのわからぬことをいって、責任を逃れようとする政治家の思惑も含まれている。
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