六月二十七日望湖樓醉書其五(故郷此の好湖山なし)蘇軾

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熙寧四年(1071)十一月、蘇軾は任地杭州につく。銭塘江の河口近くの北岸に位置していた、後に南宋の首都となるこの都市は、蘇軾が着任した時にも大都市であり、しかも美しい街だった。

この美しい街を蘇軾は非常に気に入って、自分の第二の故郷のように愛する。町の人々も、詩人としての蘇軾を愛してくれた。

蘇軾はこの町に着任すると次の詩を作って、この町に暮らすことの喜びを歌った。

未成小隱聊中隱  未だ小隱を成さず聊か中隱
可得長閑勝暫閑  長閑の暫閑に勝るを得べけんや
我本無家更安往  我本家無し更に安くにか往かん
故郷無此好湖山  故郷に此の好湖山なし

山林に隠れる小隱とはいかないが、半ば官吏の身として中隱を楽しもう、中隱といっても隠遁には違いない、自分にはもともと家などないのであるからどこへ行こうというあてもない、仮に故郷があったとしてもこのような美しい景色には出会えぬだろう


小隱は山林に隠棲すること、中隱は官につきながら半ば隠棲的な生き方をすること、白楽天の詩の中に、理想的な生き方として描かれている、白楽天を敬愛していた蘇軾はその考え方に共鳴したのだろう

官吏としての蘇軾は、人々に大したことはしてやれなかったが、詩の中で杭州の美しさや西湖に遊ぶ楽しさを歌ったので、町の人々は今日に至るまで蘇軾を誇りに思っているという。彼らは蜀ではなく杭州こそ蘇軾の本当の故郷であると今でも思っているそうなのだ。


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