おなら小僧の話題のついでに、おならの語源について考えてみたい。尻の穴から出る例のガスのことを、日本人はいつごろから「おなら」というようになったか。そんなつまらないことでも、筆者には気になるのだ。
いろいろ調べてみると、「おなら」という言葉は徳川時代の文献に始めて出てくるようだ。そんな中で、俳風柳多留には「屁をひったより気の毒はおなら也」などという川柳が出てくる。屁の中でも、たちの悪いものとして描かれているわけだ。
屁には匂いがつき物だが、音がするものとしないものとがある。音を立てなければ人前で屁をしても、しらを切ることができるが、勢いよく音を鳴らすと、音の主即ち屁をひった当人だということがばれてしまう、そこがつらい、この川柳はそんな気持ちを歌ったものだ。
このように、「おなら」という言葉は、音と関連している。屁の中でも音を伴うもの、つまり音を鳴らすもののことをいう。これから「鳴らしもの」という言葉が生じ、それに「お」をつけて「おなら」というようになったらしい。だからもともと女言葉として始まったというように推測される。
おならの本家といえる屁という言葉自体が、どれくらい古い歴史を持つかについては、筆者はまだ突き止めていない。古事記や万葉集には出てこないから、比較的新しい言葉なのかもしれない。
ところで、「おなら」という言葉が生まれた頃は、音のする屁のことをもっぱらさしていた。音のしないものの方は単に屁と呼ばれていたが、時には音のしないことをことさらに強調して、「すかし屁」などと呼ばれることもあったようだ。
それが今日では、音のするものもしないものも、尻の穴から出てくるガスを十把一絡げにして、「おなら」というようになった。あくまでも「おなら」であって、「なら」とはいわない。
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