シェイクスピアの戯曲「トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida)」は、ほかの作品と比べるとユニークでつかみどころのない性格を持っている。歴史劇のようで歴史劇ではないし、悲劇かというとそうでもなく、また純粋な喜劇でもない。だがそれらの要素の幾分かは備えているといった具合に、ひとつのジャンルに収まらないのだ。
批評家にはこの作品を問題劇と呼ぶ者もいる。シェイクスピア時代の演劇のジャンルからはみ出しているこの作品は、戦争をテーマにした一種の運命劇だが、ほかの運命劇と比べると人間臭さが充満している。問題性に富んでいるのだ。
そんなところから、容易な解釈を拒む作品だ。それ故長い間上演されることもなかった。この作品が積極的に評価されるのは20世紀に入ってからのことだ。20世紀は戦争と暴力の世紀であった限りで、トロイラスとクレシダの世界と通じるものがあったからだと思う。
この作品の背景はトロイ戦争である。トロイとギリシャとの間ではすでに7年もの間戦争が続いている。戦争の原因となったのは、トロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレンを奪ったことだった。
ヘレンはこの作品の中では、クレシダと並んで娼婦的な女性として描かれている。こんな娼婦のような女のために戦争をするなんて実に馬鹿げたことだ、ギリシャ人もヘレンをさらったトロイの人々も誰もがそう思っている。だがそれを表立っていうものはいない。そういえばギリシャ人がトロイに戦争をしかけたことの意義がなくなるし、トロイはトロイでこんな女のためになんで血を流さねばならぬのか、その意味がわからなくなるからだ。
とにかくこの娼婦のような女のために、ギリシャ軍もトロイ軍も巨大な犠牲を出している。ところがその原因を作ったヘレナの方はそんなことは一切係わりがないといった態度だ。彼女にはトロイとギリシャが戦争をしているという現実さえ目に入らないのだ。
娼婦のような女という点ではクレシダも同然だ。そのクレシダにトロイラスが恋をする。だがクレシダはトロイラスと寝たすぐ直後に叔父の計らいによってギリシ方に売り渡される。売られたクレシダはごく当たり前のようにディオメデスに抱かれる、それもトロイラスの目の前で。
この作品はトロイ戦争という叙事詩の舞台を描いているにかかわらず、ホメロスが歌い上げたような英雄的な勇壮さや崇高な人間性といったこととは無縁だ。ギリシャの英雄アキレスは臆病で卑怯な男として描かれているし、トロイの英雄ヘクトルはそのアキレスによって簡単に殺されてしまう。ギリシャの悲劇的な叙事詩が矮小な人間劇へと替えられているのである。
こんな大義のない世界とそこにうごめいている矮小な人間たちを一番冷めた目で見ているのはギリシャ方の道化セルシテスだ。彼の吐く次のような言葉が、この劇の内容をもっともよく概括しているといえる。
淫乱だ 淫乱だ 戦争に淫乱だ ほかのことは話題にもならん
どいつもこいつも熱病に焼かれちまえ(5幕2場)
Lechery, lechery; still, wars and lechery; nothing
else holds fashion: a burning devil take them!
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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