元豊8年10月、登州の知事に着任した蘇軾は、在任わずか5日にして礼部郎中として召喚された。その故蘇軾は、かねてみたいと思っていた登州の名物海市(蜃気楼)が見られないかもしれぬと、一旦はあきらめかけた。
ところが海神廣德王の廟に赴いて祈ったところ、翌朝思いかけず蜃気楼を見ることができた。これは海神の恵みのたまものだと深く感謝した蘇軾は、七言古詩をつくって、その感謝の意を述べたのである。
予聞登州海市舊矣、父老雲、常見于春夏、今歲晚不復出也、予到官五日崐而去、以不見為恨、禱于海神廣德王之廟、明日見焉、乃作此詩、
予 登州海市を聞くこと舊し、父老雲(い)ふ、常に春夏に見ゆ、今は歲晚れて復た出でざる也と、予 官に到り五日にして去る、見ざるを以て恨みと為す、海神廣德王之廟に禱る、明日見ゆ、乃ち此の詩を作る、
東方雲海空復空 東方の雲海 空復た空
群仙出沒空明中 群仙出沒す空明の中
蕩搖浮世生萬象 浮世を蕩搖し萬象を生ず
豈有貝闕藏珠宮 豈に貝の珠宮を藏する有らんや
東方の雲海はぼんやりと霞み、群仙が薄明りのなかに出没するという、揺らめき動く混沌のなかから万物が生じる、貝殻のなかから楼閣が出てくるということはない
心知所見皆幻影 心に知る見る所は皆幻影なりと
敢以耳目煩神工 敢て耳目を以って神工を煩はす
歲寒水冷天地閉 歲寒く水冷やかにして天地閉づ
為我起蟄鞭魚龍 我が為に蟄を起こし魚龍を鞭うて
重樓翠阜出霜曉 重樓 翠阜 霜曉に出で
異事驚倒百歲翁 異事百歲の翁を驚倒せしむ
心ではみんな幻影だとは分かっているのだが、それでも神の手を煩わせて是非見てみたい、いまや年も暮れて水も冷ややかに天地は閉じてしまったけれど、我がために異形のものたちを目覚めさせてくれ、すると重樓、翠阜が朝焼けの中に出現し、この百歳の翁をびっくりさせたのだった
人間所得容力取 人間得る所は力もて取る容(べ)し
世外無物誰為雄 世外に物無し誰か雄を為せる
率然有請不我拒 率然として請ふこと有りしに我を拒まず
信我人厄非天窮 信に我は人厄にして天窮に非らず
この世で欲しいものは力づくで得られるが、あの世のものはそうもいかない、なのに天は我が急な願いを入れてくれた、自分ただの厄介者であり、天の寵愛すべきものではないのに
潮陽太守南遷歸 潮陽の太守南遷より歸り
喜見石廩堆祝融 喜び見る石廩と祝融と堆きを
自言正直動山鬼 自ら言ふ正直山鬼を動かせりと
豈知造物哀龍鐘 豈に造物の龍鐘を哀みしを知らんや
信眉一笑豈易得 信眉一笑 豈に得易からんや
神之報汝亦已豐 神の汝に報ずること亦已に豐かなり
潮陽の太守(韓愈)が南方への左遷から許されて都へ戻る途中、衡山で峰々が重なり合うさまを見て、自分の正直が山の精を動かしたといったが、実は神が韓愈の焦燥ぶりを憐れんだだけのことだった、眉を延べて笑える幸せはそう多いものではない、神の恵みの豊かさに感謝すべきなのだ
斜陽萬裏孤鳥沒 斜陽 萬裏 孤鳥沒す
但見碧海磨青銅 但だ見る碧海の青銅を磨くを
新詩綺語亦安用 新詩 綺語 亦安(いづく)んぞ用ひん
相與變滅隨東風 相ひ與に變滅して東風に隨はん
斜陽のはるか彼方に孤鳥が没し、碧海が青々と光っているさまが見える、新詩や綺語で飾り立てたところで何の役にたとうか、東風とともに消え去ってしまうだけだ
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