世界的に有名なファッション・デザイナー、イッセイ・ミヤケこと三宅一正氏が、アメリカのオバマ大統領に対して、今年の原爆記念日に是非広島を訪れるように呼びかけた手紙がヘラルド・トリビューン紙に掲載され、ちょっとした反響を呼んだ。
三宅一正氏は七歳のときに広島で被爆した。そのときのことを今でもありありと覚えているという。炸裂する閃光、その直後に立ち上った黒い雲の下を、あてどもなく逃げ回る人々の悲惨な姿。氏の母親も被爆が元で三年後に亡くなった。
だが氏はいままで自分の被爆体験を語ることがなかった。理由は氏自身の胸の中にある。そんな氏が被爆体験を語ろうと決心したのは、オバマ大統領がこの四月にプラハで行った演説を聴いたからだ。その中で大統領は核の廃絶を訴えていた。その言葉に希望を感じた氏は、あえて大統領に対して広島を訪れるように呼びかける気になったのだという。
今年は広島と長崎に原爆が落とされてから64年目にあたる。被爆者の殆どが世を去って、近い将来被爆体験をありありと覚えている人はいなくなるだろう。それは原爆というものの非人間性を、自分の体験をもとに訴える人がいなくなることを意味する。
そんな中で、オバマ大統領の演説に、核廃絶に向けての一縷の望みを見出したのだろう。これまで自分の被爆体験を語ったことのなかった三宅一正氏が、あえてそれを語った上で、大統領に広島訪問を呼びかけた。
氏は言う、自分のように直接被爆した人間こそが、それをメッセージとして表すことによって、世界中の人に核の問題を考えてもらうべき立場にある、これまで自分は自身の被爆体験を語ることがなかったが、いまやそれを語るべき時がきたと考える、なぜなら自分の小さな行為が大きな変革をもたらすかもしれないから、そう三宅氏は思っているように見える。
原爆の非人間性について、被爆者自身が語ったことはもちろんこれまでにもある。中でも漫画家の中沢啓二氏が「はだしのゲン」のなかで訴えたことは、多くの人の共感を呼んだりもした。しかし、三宅氏のように、世界的な名声を獲得し、これまで被爆について沈黙していた人が、人生の晩年を迎えて、このような行動に及んだ意味は大きい。
筆者は無論、被爆体験とは直接のかかわりを持ったことはない。それでも広島を訪れた折、原爆記念館に陳列されているさまざまな資料から、原爆のもつ非人間性、どんな理屈を以てしても正当化できない、あまりにもむき出しの暴力性について、充分に理解させられたと思っている。核廃絶を訴えるオバマ大統領も、広島でそれらをジカに見れば、核の問題をただ単に理念の問題としてではなく、人類の存続をかけた問題として、深く見つめなおすに違いない。
原爆記念館の中には、多くの悲惨な資料に混じって、原爆が投下されたその時刻をさしたまま、止まってしまった時計も陳列されている。それは歴史の彼方から現代に生きる人々に向けての、悠久のメッセージのようにも受け取れる。
オバマ大統領が、日本人の、いまや老いつつある被爆者の呼びかけに答えて、是非広島を訪れるように期待したいものだ。
コメントする