イスラム金融とは何か

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アラブマネーなどのイスラムパワーを背景にしてイスラム金融なるものが世界の金融市場に一定のプレゼンスを示すようになってきたそうだ。資本主義の理念に基づいた金融システムとは根本的に異なった理念に基づいて運用されているこのシステムは、今後イスラムパワーが拡大していくにしたがって、無視できない影響を持つようになるだろうと、専門家たちは指摘している。

筆者はこれがどんなものか全く知らなかったが、雑誌エコノミストの最新号で、京都大学の長岡慎介氏が解説しているのを読んで、少しはわかったような気になった。

イスラム金融の基本的な特徴は、利子を認めないことだ。資本主義的な金融はもとより、日本の歴史的な金融をはじめ世界中の金融システムの原理は利子というものを中核にして成り立っているから、利子を認めないところにどうして金融が成り立つのか、不思議に思われるところだ。

次に、イスラム金融では投機的な行動が敵視される。投機はイスラム法が厳しく戒めるギャンブルの一形態というわけだ。だが今日の世界の金融市場は投資家たちの投機的マネーゲームが主流になっている。マネーゲームのない金融システムなど考えられない。

というわけで、利子や投機を認めないところで、どのようにして金融活動が展開されるのか、イスラム金融を動かしているダイナミズムが知りたくなるところだ。

長岡氏によれば、イスラム金融では利子に相当するものが、別の形で用意されている。イスラム金融機関は単なる金貸しではなく、顧客から預かった金をもとに事業を展開し、その事業から生ずる利益を顧客に還元する。この時に生じる利ザヤのようなものが、利子に相当する役割を果たすというわけだ。

これではイスラム金融機関は銀行とは言えないのではないかとの懸念が持ち上がるが、そこのところは、事業に基づく利益の分配システムが徹底的に証券化されることによって、事業の実態は表面に立つことがなく、顧客には自分が事業に参加しているという意識を持たせないで済む。

これはたとえば日本の銀行が企業に金を貸しっぱなしで、ただ利子を徴収しているのとは違い、銀行も一定の汗をかくことで果実を生み出しているという見せかけを得られるシステムだ。銀行と云えども実業の上に成り立つという幻想によりかかることで、イスラム法の禁忌からのがれているわけだ。

以上は基本的なルールだが、今日ではこのルールを基軸にしながら、証券化の程度を徹底的に追及することによって、スマートな金融商品が多数生まれているという。

イスラム金融の代表的な商品と云えば、スクークと云われるものだ。資本主義金融の証券化商品にあたるもので、スクーク発行体は顧客から集めた金をもとに事業に投資し、その果実を証券の所有者に還元する。通常の預金とは異なって、証券自体は金融市場で売買可能であるから、顧客はいつでもそれを金に換えることができる。この自由に転売できるスクークと云う金融商品が、資本主義金融における利子を、収益還元への期待として内包しているわけである。

イスラム金融を特徴づけるこうした商品のルーツは、実はイスラム法の長い運営の歴史に根差していると氏はいう。

イスラム世界では近代以前から、金持達が自分の財産を丸ごと寄進して、そこから上がる収益を社会福祉や弱者救済に役立ててきた歴史がある。この寄進に基づく収益の社会還元の思想を基軸にして、利子の発生を許さないイスラム法の精神に逆らわずに、イスラム金融のシステムが成立できたというわけである。





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このページは、が2011年9月 5日 19:33に書いたブログ記事です。

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