NHKのドラマ「坂の上の雲」を見た。二三年前から鳴り物入りで宣伝していたので、おのずと興味を引かれたこともあったが、筆者が好きな正岡子規が主人公の一人として出てくるというので、是非見ようという気になったのだ。
第一話は旅先の旅館で見た。同行の友人たちと夕食を済ませた後、普通なら飲み直しといくところを、テレビの前で腕枕をした次第だ。友人の一人は司馬遼太郎は嫌いだといって、見ようとしない。筆者も、司馬遼太郎は「街道を行く」シリーズくらいしか読んだことはないが、そんなに嫌いというわけではない。それに何しろ、この番組は子規に大きなスポットライトを当てていると聞いている、見ないで済ますわけにはいかない。
それ以後、年内に放送されたものは、五回とも全部見た。原作はまだ読んだことはないが、テレビのシナリオはそれなりに出来上がっているように感ずる。だが基本的には、子規の生き様ではなく、秋山兄弟のほうに比重がかかっているようだ。
筆者は秋山兄弟のことは、これまで殆ど知らなかった。弟の真之のほうは子規の幼馴染なので、子規に関するものを読めば、おのずと名前が現れてくるが、彼の軍人としての功績など問題になることはない。ましてその兄のことなどまったく知る由もなかった。
兄のほうは陸軍、弟のほうは海軍に奉職し、それぞれ日露戦役で目覚しい功績をあげたということになっている。司馬遼太郎はこの二人を材料にして、明治の日本人のひとつの典型を、描こうとしたもののようである。司馬のことだから、当然、現代の日本人のふがいなさと対比しながら、明治人の気骨というようなものを浮かび上がらせようとしているようだ。
子規のほうについていえば、どうもおざなりな処遇という印象を受けた。秋山兄弟の伴奏者といった扱いだ。なるほど子規天性のおおらかな性格は描き出されていたようにもみえるが、突っ込んだ描写がない。これは原作がそうなのか、あるいはテレビドラマ向けに単純化した結果なのか、いまの筆者にはよくわからぬ。子規ファンとしては中途半端なものを見せられたといったところだろう。
漱石にいたってはカリカチュアにされている。これでは大文豪も形無しといったところだ。漱石は子規が最も心を許した友人であり、二人の間には、壮大なドラマがあった。ところがこのドラマでは、漱石はほんの端役にとどまっている。子規が日清戦争への従軍から帰ってきて、当時松山にいた漱石の下宿に転がり込んだ前後の事情などは、日本の文学史上でも、最も感動的なエピソードといえるのに、その辺の事情にはまともに触れることがないばかりか、漱石を滑稽文学の徒のように描いている。
こんなわけで、必ずしも満足のゆくできばえとはいえぬが、まあ子規好きの身としては、ちょっぴり息抜きをさせてもらったというところか。
関連サイト:正岡子規:日本文学覚書
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