ドラッカーは何故日本でよみがえったか

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ピーター・ドラッカーといえば1970年代を中心に活躍した経営学者だ。今日の企業経営の実態とは、もはや余り関連性を持たないと思われていたが、何故か最近の日本では、若い人を中心にすさまじい人気を博しているそうだ。1973年に出版された主著「マネジメント」の如きは、昨年までの26年間で10万冊が売れたのに対して、今年の春以降のわずか半年で30万冊が売れたというから、人気のほどがわかろうというものだ。

ドラッカー人気に火をつけたのは、岩崎夏海さんが書いた一冊の小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」だ。弱くてだめなチームを強豪チームに鍛え上げていく女子マネージャーの奮闘ぶりを描いたものらしいが(筆者はまだ読んでいないので)、そこにドラッカーの経営哲学が登場するというわけだ。

ドラッカーの経営哲学は、企業組織を、金を設ける道具と考えるのではなく、社会の公器と考えるところに特徴がある。だから企業の経営者には、資本家への利益還元にとどまらず、社会や従業員に対して果たすべき責任があると考える立場に立つ。そこのところが、終身雇用と社会的な責任にコミットしてきた伝統的な日本の組織とそりがあったのだろう、アメリカの経営理論のなかでは、日本人に最も受容されるところがあった。

また、ドラッカー自身も、日本的経営を高く評価していた。

しかし日本的経営は過去のものになりつつある。従業員の終身雇用制度は崩壊しつつあり、また企業の社会的セーフティネットへのかかわりも、余分な負担とみなす傾向が強まり、企業とは基本的には資本家の利益のためにあるのだという考え方が強まってきた。アメリカ流の考えが日本にも浸透してきたということだろう。というより、企業形態のグローバリゼーションがアメリカ的経営をモデルにしたということだろう。

こんな過渡期ともいえる日本の企業社会の変容に面して、ドラッカーの理論は鋭いアンチテーゼといえるものだ。

こんなドラッカーが今日の日本でよみがえったのは何故か、読者の多くは女性や若者たちだということだから、必ずしも経営理論を学ぼうとして読んでいるのではないのかもしれない。あるいは、ドラッカーの理論を支えている社会的な感覚が、日本的経営のよき部分を再評価しようという気持ちを動かしているのかもしれない。(上の写真は上述の本のカバー)


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