限界集落:過疎の新たな段階

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最近「限界集落」という言葉が流行っているそうだ。居住人口のうち65歳以上の高齢者が50パーセントを超えるような集落を称して、こういうらしい。ものの本によれば、林業研究者の大野晃が1990年代に提唱した概念で、林業の衰退によって、集落が過疎化する現象をとらえたものだった。大野はこの過疎化が余りにも深刻かつ急激で、集落が消滅の危機にさえ直面していることを重く見て、過疎化より進んだ状況を現すために、「限界集落」という概念を持ち出したのだった。

限界集落はその名のとおり、存在していく上でのぎりぎりの状態にさらされている集落のことをさす。人口の半分以上が65歳以上の高齢者で、その残りも多くが高齢者の予備軍、就学児童がほとんど存在していない状態では、いづれ消滅することもありうる。このような集落では、道路の維持管理や日常の流通がうまく機能しないことはもとより、最低限の医療の確保もままならない。また住民同士のコミュニケーションも途絶えがちになり、一人一人の住民は不安と孤独の中で暮らさざるを得ない。

今の日本の少子高齢化の趨勢が最も先鋭に現れているわけだが、その限界集落がここ数年日本各地に広範に広がりつつあるという。しかも集落という点の状態から、いくつかの集落をつなぐ線の状態、そして自治体全体を巻き込む面の状態へと、広がりを見せつつあるという。

この限界集落が、東京のしかも都心近くに出現したというニュースが最近話題になった。新宿区にある戸山団地がそれだ。16棟2300人の住人のうち、65歳以上の高齢者が5割を超えたというのだ。

団地というものは、出来たときには同じような年齢、社会的背景の人びとが一挙に入居するのが普通だから、年月の経過にしたがって高齢化するのは、構造的に避けられない面もある。戸山団地の場合には建て替え計画がからんで、高齢化に拍車をかける結果になったらしい。

都市部で発生する限界集落の現象は、僻地でおこる限界集落とは無論、同一には論じられない。集落の内部では超高齢化が進行しても、外部には通常の都市生活が展開している。だから医療の過疎に悩む度合いも、共同体の生存基盤の維持に直面する度合いも、自ずから異なってはいる。

しかし集落が超高齢化することは、その中で生きる人びとにとっては、生きづらさの増大につながる。新宿区の社会福祉協議会では、そのような生きづらさの最たるものとして、住民同士の連帯感の希薄化や、そのあらわれとしての孤独死の増加を心配している。

戸山団地のような例は今後益々増えるだろう。多摩ニュータウンなどは、そろそろ住民の大部分が高齢化する時期を迎えている。こうした人工的に作られた居住環境にあっては、限界集落への転化が避けられない勢いだ。

そのような集落が、そこに生きる人々にとって、地獄になるようであってはならない。


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