杜甫の五言律詩「春望」(壺齋散人注)
國破山河在 國破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺淚 時に感じては花にも淚を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵萬金 家書 萬金に抵す
白頭搔更短 白頭搔けば更に短く
渾欲不勝簪 渾(すべ)て簪に勝(た)へざらんと欲す
国は敗れても山河は残り、都は春を迎えて草木が茂る、時節に感じては花にも涙を注ぎ、別れを無念に思っては鳥にも心が動く
烽火が三ヶ月もの間煙り続け、家書が万金の重さで待ち望まれる、白髪頭はすっかり短くなって、かんざしを挿すのもままならなくなった
杜甫の詩の中でも、日本人には最もなじみの深いのがこの「春望」だ。筆者も漢詩を習い始めた頃にこの詩に接した。「国破れて山河あり 城春にして草木深し」と、リズミカルな言葉の流れに乗って、詩人の無念な心のうちが歌われる。そこが初心者だった自分にも、すっきりと訴えかけてくるものがあった。
そのときの高校の漢文の先生は、この詩を中国語で読んで聞かせてくれた。たしか「クォーポーシャンハーツァイ、チェンジュンツァオムーシェン」というふうに発音していたと記憶するから、おそらく現代の北京音で読んだのだろう。
その後中国の人と接した際、中国人はこの詩をどんな音で読むのかと尋ねたことがある。そのひともやはり、大部分の中国人は現代の北京音で読むといっていた。
杜甫がこの詩を書いたのは、至徳二年の春だった。長安はいまだ、安碌山軍が占領するところだった。そんな中で杜甫は家族と遠く引き離され、いつ再び会えるかもしれぬという不安と悲しみにさいなまれていた。「家書萬金に抵す」とは、そんな杜甫の差し迫った感情が込められた句なのだ。
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