あひるたちの愉快な旅:郡上八幡を行く

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今年の新年会にあひるの仲間たちが集まった際、夏ごろに郡上八幡へ行こうということにまとまった経緯は、先稿でふれたとおりだ。そのとおり、六月の半ばに二泊三日で郡上八幡方面へ小さな旅をした、参加者は筆者のほかに、静ちゃんあひる、おおさんあひる、少尉あひる、横ちゃんあひる、今ちゃんあひるの、合わせて六羽だ。

東京駅八時半発のひかり号に乗って十時頃名古屋駅に着き、そこからJR高山線で美濃大田まで行き、更にローカル列車に乗って郡上八幡に向かった。ローカル列車は長良川鉄道といって、その名のとおり長良川渓谷を遡っていく。渓谷といっても起伏は少なく、沿線はのんびりとした眺めだ。

この車内で、名古屋で買ってきた弁当を広げた。車両は一両編成で、都電の荒川線の車両をちょっぴり大きくした感じ。そこに地元の人たちが大勢乗り込んでいて、とても弁当を広げる雰囲気ではなかったが、何せあつかましい老人たちのグループだ、周囲の目を気にせず味噌カツ弁当を平らげた次第だ。

郡上八幡駅に降り立つと雨が盛んに降っている。我々の姿を認めたタクシーの運転手が近寄ってきて、観光タクシーはどうですかと売り込む。ごらんのとおり六人いるから、タクシーでは中途半端だなというと、いやそれならマイクロバスを用意しますよと食い下がる。まあいいや、後で考えるよといって、運転手を遠ざけた。

ややしてコミュニティ・バスがやってきたので、それに乗って市内に向かった。市内に着くと早速旅館に立ち寄り、荷物を預けて、散策に出かけた。

手始めは博覧館というところ。郡上八幡の歴史やら郡上踊りの特徴やらを、分かりやすくコンパクトにまとめて展示している。そのうちに、大広間で郡上踊りの披露があるというので、そいつを見ることにした。

広間には地元の女性が二人出てきた。そのうちの一人は入り口で切符を売っていた人だったが、その人が踊りのコツを教えてくれた。動作もしゃべり方もてきぱきとして、しかもなかなかの美人だ。我々見物人たちは、この女性の指導で踊ることになった。

踊りは全部で十曲ある。当日にはそれらを交互に演奏しながら踊るのだそうだ。一番人気があるのはカワサキという曲。まず左手を頭上にかざして右足を流す、ついで右手をかざして左足を流す、もう一度左手をかざして右足を流し、両手を回しならが前方で交差させ、拍子をとってチョチョンガチョン、下駄を思い切り鳴らしながら再び、最初の動作に移る、これを二十分ばかり繰り返して、次の曲に移るといった具合だ。

なるほどこれなら誰でも踊れる。観光客たちも踊りの輪に加わって一夜を楽しく過ごせるというわけだ。

郡上八幡踊りは七月の終わり頃から九月の始め頃まで、お盆をはさんで一箇月半ほど続く。だからその季節に訪れるのがベターなのだ。

踊りの稽古が終わった後、郡上八幡城に登った。この城は永禄年間に遠藤盛数が作ったとされるが、現存するのは昭和の模擬天守だ。山内一豊の妻千代は遠藤盛数の娘だとする説もあり、地元ではそれを大々的に宣伝している。天守閣の足下の広場には二人の銅像も立てられていた。

天守閣から眺めた町並みは、なかなか風情がある。中心に川が流れ、道路が碁盤目になっている、そして周囲を山に囲まれているたたずまいは、小京都というのに相応しい。折から雨に降りこめられた街は、なんとも言えぬ色気を感じさせた。

こんなわけで筆者らは、梅雨の合間にしっとりと濡れた山間の小さな街を満喫した次第だった。


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このページは、が2011年6月22日 21:36に書いたブログ記事です。

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