蘇軾は諧謔好きで、詩の中にもその精神を盛り込んだ。諧謔はさまざまなものを対象にしたが、厳格な僧侶に対しても向けられた。ここに面白い逸話がある。
あるとき蘇軾は芸妓を伴って高名な禅僧大通禅師を訪ねた。禅師は謹厳なことで知られ、禅堂に彼を訪ねようとする者は斎戒沐浴しなければならなかった。女性が立ち入ることは無論固く禁じられていた。
ところが蘇軾は涼しい顔をして、沐浴もせず、こともあろうに芸妓を伴ったまま禅堂に入っていった。禅師が不快な表情をしたことはいうまでもない。
そこで蘇軾は、禅師が読経中に用いる拍子木を貸してもらえれば、それを芸妓に打たせながら、自分の作った詞を歌わせようといって、次の詞を作り、それを芸妓に歌わせた。
師唱誰家曲 師の唱するは誰が家の曲
宗風嗣阿誰 宗風は阿誰を嗣ぐ
借君拍板與門縋 君に拍板と門縋を借らん
我也逢場作戲莫相疑 我や場に逢ひては戲を作す 相ひ疑ふ莫かれ
溪女方偷眼 溪女方に眼を偷しますべし
山僧莫皺眉 山僧眉に皺する莫かれ
卻愁彌勒下生退 卻愁彌勒下生退
不見阿婆三五少年時 不見阿婆三五 少年時
この諧謔に富んだ詞に、さすがの大通禅師も頬をほころばせたということである。
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