オルセー美術館のリニューアル

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印象派のコレクションで知られるパリのオルセー美術館が大規模なリニューアルを行い、その結果、従前にくらべて絵の見え方が格段によくなったそうだ。その様子をNHKが、女優天海祐希さんの案内で、視聴者に紹介していた。(パリと女と名画たち~魅惑の新オルセー)

ポイントは二つある、と番組は言う。一つは壁の色、もう一つは光線だ。壁の色は青みがかった濃いグレーにし、天井から差し込んでくる自然光を80パーセントカットした。そうすると、絵が背景のなかからくっきりと浮かび上がり、色彩も鮮やかさを増した。

従来は白い壁に、天井から漏れてくる強い自然光の組み合わせだった。その時の展示の効果を現在と比較すると、たしかに大きな差がある。びっくりする位、鮮明度が増している。

この効果はどんな絵にも当てはまるのだろうが、とりわけ印象派に効果がある。というのも、印象派の絵は光を大事にしているからだ。光あふれる画面に、さらに強い光があたると、絵そのもののもつ光の要素が相殺される。新しい展示はそうした効果を十分計算したうえで設計されたのだろう。

光の世界、ということで、天海さんは光あふれるパリの街を紹介してくれた。パリの町が今のように広い道路と頑丈な石造りの建物からなる街になったのは、19世紀の後半のことだ。それまでは、狭い道路を囲んで建物が密集していた。それに加えて、パリの町にはトイレがなかった。人々は自分たちの排せつ物を路上や狭い広場に積み上げたという。だからしょっちゅう疫病が流行った。街の改造は至上命令だったわけだ。

改造された結果、パリの町にはいたるところ光が差すようになった。その光を印象派の画家たちはキャンバスの上に再現した。彼らは光の画家たちなのだ。

天海さんはパンテオンの上からパリの町を見下ろす。街は整然として広がっている。そして建物の最上階には広い窓を持つものが多い。そこをアトリエとしているのだ。広い窓から差し込む豊かな光につつまれながら、画家たちは絵を描くわけだ。

19世紀の後半は、パリジェンヌの間でモードへの関心が広がった時代だ。モネの描いた日傘の女などには、そうした当時のモードへの関心が伺われるという。たとえば、シンプルな洒落た衣装、実用性よりもファッション性を重んじた日傘のかたち、そしてコサージュと呼ばれる手作りのアクセサリー。どれもみな女性の自己主張をあらわしている。

印象派の時代には、アール・ド・ヴィーヴル(Art de Vivre)という言葉が流行ったそうだ。生き方の芸術、とでも訳そうか。つまり、単に生きる、のではなく、意味のある生き方をする、ということだろう。

天海さんはまた、オルセー美術館の建物の内部も案内してくれた。御承知のようにこの建物は、鉄道の駅として建てられたものを、美術館として転用している。だから建物の内部は、コンコースやらプラットホームやらの面影が残っている。また天井裏には大きなぜんまい時計が嵌め込まれている。この時計は外部の人に顔を見せているはずだ。

天海さんはさらに、ガルニエのオペラ座内部も紹介してくれた。舞台に立つ踊り子を描いたドガの絵があるが、その絵の構図を確認できるスポットがあるという。二階の独立した張出席だ。そこから舞台を見下ろすと、たしかにドガの絵と変わらない構図が現れた。

バレーのマドンナをその頃はエトワールといっていたそうだ。一人ひとりのエトワールにはパトロンがいて、彼等は独立した張出席から、自分の贔屓の踊り子を見つめていたという。

なんとも優雅な世界の話だ。(写真は筆者撮影)





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このページは、が2012年3月29日 19:41に書いたブログ記事です。

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