山上憶良:惑へる情を反さしむる歌

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万葉集巻五に、山上憶良の一風変わった歌が載せられている。「惑へる情を反さしむる歌」という。序にあるように、父母を敬はずして侍養を忘れ、妻子を顧みず、山沢に亡命する民を論難した歌である。

北山茂夫の考証によれば、この時代、律令制がようやく緩み始め、公田を離れて浮浪し、また各地の権力者に私的に仕える者が増えつつあった。一方、行基らの宗教運動が盛んになり、これらの浮浪者を組織して、不穏な動きを見せるようにもなった。朝廷はこうした動きに対して、出稲の制度を導入するなどして体制の立て直しを図るが、なかなかうまくゆかず、古代的な王朝秩序が揺らぎつつあった。

憶良は、国司としての立場から、こうした風潮に彼なりの危機感を感じていたのであろう。生業を放擲して山沢に亡命する民に向かって、三綱を指示して、更に五教を開かんと、この一首を作った。

歌そのものは、優れたものとはいえないが、揺らぎつつある時代を背景に、一地方官の危機意識があらわれたものとして、興味深いものがある。

―惑へる情を反さしむる歌一首、また序
或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を験らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以三綱を指示して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、
  父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し
  遁ろえぬ 兄弟(はらから)親族(うがら) 遁ろえぬ 老いみ幼(いとけ)み
  朋友(ともかき)の 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり
  もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば
  穿沓(うけぐつ)を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は
  石木より 成りてし人か 汝が名告(の)らさね
  天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います
  この照らす 日月の下は 天雲の 向伏(むかふ)す極み
  蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ
  かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか(800)
反歌
  久かたの天道は遠し黙々(なほなほ)に家に帰りて業を為まさに(801)

「父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し」とは、いかにも億良らしい歌いだしである。この一首は、この十四文字でつきているといっても過言ではない。

だがこの言葉には、儒教的な響きもある。儒教の教えによれば、国というものは家をそのまま拡大したものであるから、家の崩壊は国の崩壊につながる。その家を、「穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より 成りてし人か」と、憶良は非難する。

「天へ行かば 汝がまにまに」とは、行基らの宗教運動を皮肉ったつもりでもあろうか。この時代、行基の宗教運動は、奈良の都を中心に、破産した農民たちを組織しつつあり、あなどれない勢力になっていた。その勢いは、憶良が治める西辺の地にも及んでいたのであろう。彼らは、仏教を団結の絆にしていたから、それを批判するのに、天云々のことばが飛び出たのである。

だが憶良は、「地ならば 大王います」といって、あの世のことはいざ知らず、この世においては、天皇を中心にした秩序があるのだと訴える。

その訴えは、あるいは的を外れたものだったろう。だが、一地方官としての憶良には、精一杯の訴えかけだったのだと思われる。「黙々に家に帰りて業を為まさに」と歌う短歌には、そんな憶良のむなしい努力が響いている。

改めていうまでもなく、日本古代の王朝体制は、この時代を境に激動のように動き始め、やがて荘園体制へと変質していくのである。


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    このページは、が2007年2月26日 19:37に書いたブログ記事です。

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