蘇軾獄中の歌(1)是る処の青山骨を埋む可し

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蘇軾は元豊2年(1079)7月28日に逮捕され、8月18日に御史台の獄に投ぜられた。だが獄中の蘇軾は、そんなにひどい待遇は受けなかった。というのも、獄卒の一人が蘇軾を非常に尊敬していて、彼のために何かと便宜を図らってくれたからだ。そのひとつに、毎夜足を洗う樽を持ってきてくれたことがあげられる。これは今でも四川人の風習とされているものである。

獄中の蘇軾を息子の邁が毎日のように見舞い、食べ物などを差し入れた。その邁との間で、蘇軾はひとつの取決めをしていた。普段は野菜と肉を差し入れ、何か悪いことが起きたら、魚をそのしるしに送るというものだった。

ところがある日、邁は用事ができたために差し入れを友人に頼んだ。その友人は魚を差し入れたが、秘密の取決めのことは聞かされていなかったので、何も言わずに魚を贈った。

送られた蘇軾は、てっきりそれが自分の運命に悪いことが及んでいることの証拠なのだと勘違いした。そこですっかり死を覚悟するとともに、その気持ちを二片の詩にして弟の蘇轍に送った。


予以事繋御史台獄獄吏稍見侵自度不能堪死獄中不得一別子由故作二詩授獄卒梁成以遺子由

予事を以て御史台の獄に繋がる、獄吏稍や侵さる、自ら度る、堪ふる能はずして獄中に死し、子由に一別するを得ざらんと、故に二詩を作り、獄卒梁成に授け、以て子由に遺る

其一

  聖主如天万物春  聖主天の如く 万物春なるに
  小臣愚暗自亡身  小臣愚暗にして 自ら身を亡ぼす
  百年未満先償債  百年未だ満たざるに 先ず債を償い
  十口無帰更累人  十口帰するところ無く 更に人を累せん
  是処青山可埋骨  是(いた)る処の青山 骨を埋む可し
  他年夜雨独傷神  他年の夜雨 独り神を傷(いた)ましめん
  与君世世為兄弟  君と世世 兄弟と為りて
  又結来生未了因  又来生 未了の因を結ばん

聖主は天のように心が広く、万物は春の気配に包まれているのに、自分は暗愚にして身を滅ぼす羽目になった、百年の寿命を全うすることなく死に、ために家族は頼りを失って、君を煩わすことになろう

人間どこで死ぬかわからぬものだ、いづれ君を悲しませることになるかもしれぬ、君とはいつまでも兄弟でいたい、あの世ではこの世で果たせなかった契りを結ぼう


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