2008年2月アーカイブ

感覚がもたらすものへの懐疑論は、長い間ギリシャ哲学にとって難点の一つであった。そこでパルメニデスは感覚の世界を「あらぬもの」として、その存在を否定したし、逆にソフィストたちは、人間の感覚は人によってそれぞれ現れ方が異なるのであるから、世界には絶対的な真理などはありえないと主張した。プラトンは感覚のもたらすものを、イデアの似姿だといって、それに一定の場所を認めたのであるが、その説はアリストテレスによって、単なる比喩に過ぎないと批判された。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「盲者たち」 Les Aveuglesを読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「赤毛の女乞食に」 À une Mendiante rousse を読む。(壺齋散人訳)

大西洋とインド洋の亜南極地帯の島嶼に生息するオウサマペンギンは、南極圏に生息するコウテイペンギンに次いで大型のペンギンである。かつては亜南極の海に広く分布していたが、19世紀中に、航海者によって乱獲され、一時絶滅寸前にまで減った。船乗りたちはオウサマペンギンの脂肪を料理用の油として使っていたのである。

陶淵明「山海経を読む」から其六「太陽の女神羲和」の詩を読む。

陶淵明「山海経を読む」から其五「翩翩三青鳥」を読む。

パーシー・B・シェリーの詩「雲」The Cloud を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・B・シェリーの詩 Love's Philosophy 「愛の哲学」を読む。(壺齋散人訳)

どんなに激しい恋をして結婚したカップルも、その激情をいつまでも保ち続けることはむつかしい。ハネムーンの時期が過ぎて子どもが生まれ、生活のパターンが安定してくるにつれて、結婚当初の激情的な愛に結ばれた関係は、次第に落ち着いたものへと変わっていく。そして10年、15年とたつうちに、結婚生活はすっかりマンネリ化し、互いの存在が空気のようなものに成り果てる。配偶者に接しても、恋人時代の頃のように、胸がときめくことはない。

野菜を漬けて食う風習は世界共通のことだ。なまで食うことをのぞいたら、野菜の食い方としてもっとも古い歴史を有する。人類最古の食品の調理法だともいえる。日本でも例外ではなく、すでに縄文時代から野菜の漬物が食われていた。

マケドニアのアレクサンドロスがギリシャから東方世界にかけてを統一し、世界帝国を作り上げると、かつてのギリシャの都市国家は没落した。それにともない、都市国家を舞台に花開いた、自由で闊達な議論、自然や人間の本性を見極めようとする客観的で普遍的な精神は衰退した。人びとは開かれた大帝国にコスモポリタンとして生きることに反比例するかのように、ますます個人的で主観的な世界に後退していったのである。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「時計」 L’Horloge を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「憂愁」 Spleen を読む。(壺齋散人訳)

ペストは人類の歴史上もっとも猛威をふるった疫病である。14世紀のヨーロッパでは数回にわたって大流行し、全人口の3分の1が死亡した。そのすさまじさのほどがわかるだろう。ひとびとはこの病気を恐怖して黒死病と呼んだ。それは黒い悪魔が運んできた病気とか、または患者が全身黒くなりながら死んでいったということに基づいている。

陶淵明「山海経を読む」から其二「玉臺凌霞秀(西王母)」を読む。

山海経は中国最古の地理書である。地理書といっても、単なる地理を記したものではなく、各地にまつわる神々や妖怪、珍獣の類について、空想力豊かに記している。成立したのは秦から漢にかけての頃と推測されているが、古い部分は周の時代に遡ると思われる。その中には、神話の記述も含まれ、古代の中国を知る上で貴重な文献である。

パーシー・B・シェリーの詩「インド風セレナード」The Indian Serenade を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・B・シェリーの詩劇「解き放たれたプロメテウス」 Prometheus Unbound は、有名なギリシャ神話に題材をとった作品である。詩劇という表現をとっているように、叙事詩とドラマの中間に位置する。ゼウスによって課せられたプロメテウスの試練とそれからの解放を描いたものだ。全体は4部からなる長大な作品であるが、ところどころに差し挟まれた美しい絶唱には、独立して鑑賞に堪える部分が多い。

日本酒を蒸留すると焼酎が出来る。焼酎の製造技術は室町時代の末期には確立していたと思われるが、何故か日本の酒の文化の中では普及することがなかった。一昔前まで焼酎といえば安酒のイメージが付きまとっていたものだ。それが昭和50年代の後半から俄かに日本中で飲まれるようになった。「いいちこ」とか「二階堂」といった麦焼酎の銘柄が人気を集めたのがきっかけだったようだ。

アリストテレスは哲学史について自覚的に語った世界で最初の思想家である。無論彼の生きた歴史的な制約からして、その対象はギリシャの哲学であったが、そこにはある一定のヴィジョンにもとづいて思想の発展をたどるという、哲学史を叙述する際に必要な方法意識が働いていた。そういう意味合いにおいて、アリストテレスは世界で最初の哲学史研究家なのである。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「陽気な死者」 Le Mort joyeux を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「幻想的な版画」 Une gravure fantastique を読む。(壺齋散人訳)

現代の日本語には、静かさを表現するものとして、「シーン」という言葉がある。今では当たり前の表現だが、そんなに古い言葉ではない。文学作品上に始めて現れるのは、夏目漱石の「虞美人草」の中でということだ。昭和になってから、「鉄腕アトム」で知られる漫画家手塚治虫が使用したことから、一般に普及したといわれる。

陶淵明の詩「乞食(食を乞う)」を読む。

荊軻はいうまでもなく秦王(後の始皇帝)を暗殺するために、燕によって派遣された刺客である。史記が刺客列伝の中で荊軻をとりあげ、その壮烈な志を描いたことから、中国史上でも最も人気のある人物となった。その荊軻を、陶淵明は、史記の記述をもとに一遍の詩に歌った。

かゆいところを掻くという動作は、人間が生来もっている反射的な行動パターンである。犬や猫など人間以外でも、掻く動作をする動物はいる。熊やリスなども皮膚を掻く動作をするようだ。象やキリンのような大型動物も同様かどうか、筆者は実際に目撃したことがないので、確かなことはいえないが、恐らく掻くのであろう。

パーシー・B・シェリーの詩「西風のオード」を読む。 Ode to the West Wind(壺齋散人訳)

パーシー・B・シェリーのソネット「1819年のイングランド」ENGLAND IN 1819 を読む。(壺齋散人訳)

先日ニューデリー郊外の都市グルガオン Gurgaon において、違法な臓器移植を手がけていた闇医療グループが摘発された。このグループはアミット・クマルという男が運営するもので、過去8年間ほどの間に、少なくとも500件の違法臓器移植を手がけてきたとされる。そのやり方は、ドナーをだましたり、脅したりして、強制的に臓器を取り出すというもので、きわめて悪質なものであった。

日本酒は、米、麹、酵母、水を原料にして作る。米に含まれる澱粉を土台にして、麹が澱粉を糖に変え、酵母が糖を分解してアルコールに変える。これは日本酒に限らず醸造酒といわれる酒の造り方の基本である。原料が変わっても、工程そのものはほとんど変わりがない。日本人が日本酒を愛してきたのは、米が日本人にとっての主要な澱粉源であったからだ。

昨年暮れに発表されたミシュラン・ガイド東京版は、日本人の間で大フィーバーを巻き起こした。9万部用意した初版本が即日完売したというから、そのすさまじさがわかるだろう。余熱は今も続き、NHKのテレビ番組をはじめ多くのメディアが、受賞した店とそこのシェフを、毎日のように紹介している。

アリストテレスは人間の理性を二元的に捉えていたようである。理念的で能動的な理性と、感覚とつながりをもった受動的理性とである。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「墓」 Sépulture を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「音楽」 La Musique を読む。(壺齋散人訳)

陶淵明の詩「貧士を詠ず」其二「淒厲歳云暮」を読む。

陶淵明の「詠貧士七首」は、古の貧士にことよせて、己の生き方とそこに貫く矜持を歌った作品群だ。貧士とは清貧と孤独に甘んじつつ、世の流れに流されず、あくまでも己の美学を追及した人々である。清廉潔白の士と言い換えてもよい。陶淵明はそうした人々の生き方に己の生き方を重ねることによって、汚濁にまみれた世に生きざるを得なかった、無念のようなものを昇華したかったのだと思われる。

地球上に棲息するすべての脊椎動物が魚類から進化したことは、ダーウィン以来の進化論が推測していたことであるが、その直接的な物証はなかなか見つからなかった。ところが4年前に、カナダの北極圏で発見された3億7500万年前の魚の化石には、首と手足がついていた。発見者のシュービン Neil Shubin 博士は、この魚が、水中から陸上へと進出した最初の魚だったのではないかと考え、今日の地上の脊椎動物、ひいては人類にとっても直接の祖先だろうと推測した。

パーシー・ビッシュ・シェリーの詩「イギリスの男たちへ」 To the Men of England を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・B・シェリーの詩「萎れたスミレに」を読む。On a Faded Violet (壺齋散人訳)

能「芭蕉」は芭蕉の精を主人公にし、その成仏を主題にした珍しい作品である。能にはほかに、梅、藤、桜(西行桜)、柳(遊行柳)など草木の精を主人公にした作品があり、かつては人間以外のものを取り上げていることから5番目に分類されていた時期もあったが、現在ではいづれも3番目に数えられている。

現在我々日本人が普通に食っている握り寿司は、文政年間(1820年代)に江戸の寿司職人華屋与兵衛が発明したということになっている。与兵衛は酢飯の上に魚を乗せ、それを掌で握り締めて客に出した。魚は江戸前でとれたもので、アナゴ、鯖、こはだ、車海老といったものが中心だったらしい。江戸前寿司とは、そうした材料から出た言葉だが、握り寿司が江戸で始まったという事情も含んでいるのだろう。

先日中国のテレビ番組の中で流された奇妙な光景が、中国人の間で波紋を呼んでいるそうだ。人気キャスターの某氏がオリンピック特集を報道している最中、その妻でやはり人気者のアナウンサーが突然画面に現れたと思うや、亭主からマイクを奪ってわめき始めたのというのだ。それも、亭主が浮気をして、その女に子どもを作らせたという内容だったので、画面を見ていた人々はみな唖然とした。おまけにその様子は早速「ユー・チューブ」にアップされ、ウェブ・ゴシップの種となった。

アリストテレスは「天体論」の中で宇宙の構造について議論している。それは古代のギリシャ人が抱いていた天体と宇宙に関する想像力を理論的な形式のもとにまとめたものだといえる。その意味ではギリシャ的宇宙像の繰り返しであったが、後世に及ぼした影響は計り知れなかったのである。



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