旅とグルメ


夕刻マドレーヌに至る。マドレーヌ寺院はパリ屈指の大寺院なり。その傍らにシャネルショップあり。中に入りて品定めをなす。

十二時頃オルセー美術館を出でて、セーヌ川沿ひを散策す。このあたりにもブキニストら店を構へてゐたり。店の様子をよく見れば、皆一様のつくりなり、恐らくはパリ市当局の指導ならんか。

十月五日(火)雨の振る中をオルセー美術館に往く。普通なら十四号線ビブリオテック駅にてRER-C線に乗り換ふるが便宜なれど、この日は地下鉄を乗り継ぐこととなす。RER線の車内余りに汚ければ、横子の二度と乗らぬと言ひ出せしが故なり。

夕刻再び地下鉄に乗りてピラミードに至り、そこよりヴィクトワール広場を目指して歩む。途中なるパサージュを訪ねんと思ひしなり。この界隈はロンドンのソーホー地区に似て、エトランゼなる雰囲気あり。日本料理の店も多く見かけたり。もっともその多くは食欲をそそらぬ体のものなりき。

十二時頃ルーブルを退館し、チュイルリー公園に憩ふ。泉を中心にして展開する瀟洒なる庭園なり、パリの風景の中でも最も美しきもののひとつといふべし。

十月四日(月)陰、時に雨。七時半に起床すれば窓外相変はらず暗し。ホテルの食堂は昨日に比すれば人影少なし。九時頃外出して地下鉄駅に至れば、ここは通勤客雑踏して活気を呈したり。

オペラ座前よりバスに乗り、シテ島付近にて下車す。コンシェルジュリーに通ずる橋を渡るに、そこはシテ島中心部を走るパレ大通りにて、右手には司法省とサント・シャペル、左手にはパリ警視庁の建物並び立ちたり。

エッフェル塔の足下にはセーヌ川流れ、イェナ橋架けられてあり。その橋の袂より遊覧船発着す。聞けば川を遡ってシテ島まで行くといふ。是非なく乗船す。

十月三日(日)晴。七時に起床するに窓の外はいまだ暗し、今のパリは夏時間なれど、夜明は八時近しとのこと。何のためなるかは存ぜず、いづれにしても夜明けが八時頃のことにては、勤労の意欲もそがるるべし。

余少年の頃よりフランス語を独学し、象徴派の詩人たちを日本語に翻訳しては自得しかつ喜びゐたれど、いまだかつてフランスに旅行せしことなし。わづかに柳北先生の航西日乗を読みなどして空想裏にかの地に遊ぶばかりなりき。今やうやく還暦を過ぎて、生活の閑暇と金銭の余裕を得るに及び、宿願の思ひをかなへんとは思ふなり。

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久しぶりに豊穣たる熟女たちと会い、銀座を歩いた。前回会ったときには千鳥が淵の桜を見て、その後は居酒屋にしけこんだが、この日は銀座通りの柳並木を歩き、洒落た店に入ろうという魂胆だった。T女などは、銀座に行くと聞いて、和服姿でないのを残念がった。

M女史からメールがあって、久しぶりにアナゴの仲間たちを集めて一杯やりましょうよということになった。場所は築地場内の「市場の厨房」という店。アナゴの主人S氏の紹介という。そこで勤めがひけた後に、地下鉄に乗って出かけてみた。折から雨がそぼそぼと降っている。どうもこの連中と会うときには雨にたたられることが多いな、もしかしたら雨男あるいは雨女がいるのかな、と思いながら。

松代に大本営が造営されたのは大戦末期の1944年11月以降のこと、終戦によって工事が中断されたため、結局大本営として使われることは一度も無く、歴史の遺物としてひとびとの心の片隅にのこるだけとなった。そんな遺物を、先日筆者の知人が訪れて、大変な迫力を感じたと話してくれたので、今回別の仲間と松代を訪ねることとなった際には、真っ先に寄って見たいと思った次第だった。

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松代と聞いて最初に思い浮かんだのは、終戦末期に突貫工事で作られたという大本営のことくらいで、ほかのことはほとんど何も思い浮かばなかったが、実際にたずねて見ると、大本営は別にして、町本体にも魅力があることがわかった。

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山・落・松の諸子と北信へ小さなドライブ旅行をした。小布施、松代といった古い街並みを散策し、かつ湯田中温泉でのんびり湯を楽しもうというものである。いつものとおり松子の運転で、集合場所の新宿から関越道、上信越道を経て小布施へ向かった。

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ハワイでは来年の7月からフカヒレの料理が食えなくなる。州法によって、フカヒレを所有すること自体禁止されるので、売ったり買ったり、また食堂のメニューに加えることができなくなるためだ。法令に違反したものは、初犯で5000-15000ドルの罰金が科せられ、三度目の違反には35000-50000ドルの罰金のほか1年間の禁固刑を課せられる。

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先日友人たちと北京に旅行した折、京劇を見る機会があった。テレビでは何度か見たことがあるが、実物を見るのは初めてだ。

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五月二四日(月)晴れて風あり。朝餉を喫して後バスに乗りて天安門前広場に至る。四十四万平米といふ故日比谷公園三つ分の広さなり。ほぼ中心に人民英雄記念碑立ちたり。正面に見る天安門の高さは三十七メートル、1949年10月1日、毛沢東この門の上より共産主義革命の成功と中華人民共和国の建国を宣言せり。その時広場を埋めたる人民の数は50万人ともいふ。

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午後八達嶺長城を視察す。万里長城のうち最もよく保存せられたる場所なり。通常は麓よりロープウェーに乗りて山上に上るといふなれど、この日より当分運転休止との連絡あり、孫係員に交渉してバスをそのまま山上まで運転する許可を得る、恐らく賄賂を贈りたる効用なり、賄賂を支払はざるものは山上まで歩くことを余儀なくせらるるなり

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五月二三日(日)六時に起床、雲はなけれど空色曖々たり、これ自動車の排気ガスと黄砂の仕業なり。北京の春は爽快たる空を見ること少なし、また内陸部に位置することから、温暖の差甚だし。冬はマイナス二十度以下まで下がり、夏は四十度を超ゆ、実に六十度の間を上下するなり。季節のみならず一日のうちにも温暖の差あり、今頃の季節にしてすでに三十度を超ゆる日多し。今日もまた暑くなるべしといふ。

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