中国古代の詩


エズラ・パウンドによる李白の詩「長干行」の英訳(壺齋散人による重訳)

  わたしがまだおかっぱ頭だった頃
  門の前で花を摘んで遊んでいると
  あなたは竹馬に乗って現れて
  青梅を弄びながらわたしの傍を通り過ぎた
  わたしたちはチョーカンの小さな村で暮らす
  あどけない少年少女でしたね

阮籍の詠懐詩其三十三「一日復一夕」(壺齋散人注)

  一日復一夕  一日復た一夕
  一夕復一朝  一夕復た一朝
  顔色改平常  顔色平常を改め
  精神自損消  精神自ら損消す
  胸中懷湯火  胸中湯火を懷き
  變化故相招  變化故に相ひ招く
  萬事無窮極  萬事窮極無く
  知謀苦不饒  知謀饒(おほ)からざるに苦しむ
  但恐須臾間  但だ恐る須臾の間に
  魂氣隨風飄  魂氣の風に隨って飄るを
  終身履薄冰  終身薄冰を履む
  誰知我心焦  誰我が心の焦(あせ)るを知らん

阮籍の詠懐詩其四を読む。(壺齋散人注)

  天馬出西北  天馬は西北より出づるも
  由来従東道  由来 東道に従う
  春秋非有託  春秋 託する有るに非ず
  富貴焉常保  富貴も焉ぞ常に保たん
  清露被皐蘭  清露は皐の蘭を被ひ
  凝霜霑野草  凝霜は野草を霑す
  朝為媚少年  朝には媚少年たれども
  夕暮成醜老  夕暮には醜老と成る
  自非王子晉  王子晉に非ざる自りは
  誰能常美好  誰か能く常に美好なるべき

吁嗟篇:曹植

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曹植の詩「吁嗟篇」を読む。(壺齋散人注)

  吁嗟此轉蓬   吁嗟 此の転蓬
  居世何獨然   世に居る 何ぞ独り然るや
  長去本根逝   長く本根を去りて逝き
  夙夜無休閒   夙夜 休間無し
  東西經七陌   東西 七陌を経て
  南北越九阡   南北 九阡を越ゆ
  卒遇囘風起   卒かに回風の起こるに遇い
  吹我入雲閒   我を吹きて雲間に入れり

曹植の詩「美女篇」を読む。(壺齋散人注)

  美女妖且閑  美女妖にして且つ閑なり
  採桑岐路閒  桑を岐路の閒に採る
  柔條紛冉冉  柔條 紛として冉冉たり
  落葉何翩翩  落葉 何ぞ翩翩たる
  攘袖見素手  袖を攘げて素手を見(あらは)せば
  皓腕約金環  皓腕 金環を約す
  頭上金爵釵  頭上には金爵の釵
  腰佩翠琅玕  腰には佩びる翠琅玕
  明珠交玉体  明珠 玉体に交はり 
  珊瑚閒木難  珊瑚 木難に閒はる
  羅衣何颿颿  羅衣 何ぞ颿颿たる
  軽裾髄風還  軽裾 風に髄って還る
  顧盼遺光彩  顧盼すれば光彩を遺し
  長嘯気若蘭  長嘯すれば気は蘭の若し
  行徒用息駕  行徒は用って駕を息め
  休者以忘餐  休者は以て餐を忘る

曹植の詩「白馬篇」を読む。(壺齋散人注)
                        
  白馬飾金羈  白馬金羈を飾り
  連翩西北馳  連翩として西北に馳す
  借問誰家子  借問す誰が家の子ぞ
  幽并遊侠兒  幽并の遊侠兒
  少小去鄕邑  少小にして鄕邑を去り
  揚聲沙漠垂  聲(な)を沙漠の垂(ほとり)に揚ぐ
  宿昔秉良弓  宿昔良弓を秉り
  苦矢何參差  苦矢何ぞ參差たる
  控弦破左的  弦を控(ひ)いて左的を破り
  右發摧月支  右に發して月支を摧く
  仰手接飛柔  手を仰ぎて飛柔に接し
  俯身散馬蹄  身を俯して馬蹄を散ず
  狡捷過猴猿  狡捷なること猴猿に過ぎ
  勇剽若豹蛟  勇剽なること豹蛟の若し

曹植の詩「七哀詩」を読む。(壺齋新人注)
                        
  明月照高樓  明月高樓を照らし
  流光正徘徊  流光正に徘徊す
  上有愁思婦  上に愁思の婦有り
  悲歎有餘哀  悲歎餘哀有り
  借問歎者誰  借問す歎ずる者は誰ぞ
  言是客子妻  言ふ是れ客子の妻なりと
  君行踰十年  君行きて十年を踰え
  孤妾常獨棲  孤妾常に獨り棲む
  君若淸路塵  君は淸路の塵の若く
  妾若濁水泥  妾は濁水の泥の若し
  浮沈各異勢  浮沈各おの勢を異にし
  會合何時諧  會合何れの時にか諧はん
  願爲西南風  願くは西南の風と爲り
  長逝入君懷  長(とお)く逝きて君が懷に入らん
  君懷良不開  君が懷良に開かずば
  賤妾當何依  賤妾當に何にか依るべき

曹丕の詩「燕歌行」を読む。

  秋風蕭瑟天気涼  秋風蕭瑟として天気涼し
  草木搖落露為霜  草木搖落して露霜となる
  羣燕辭帰雁南翔  羣燕辭し帰りて雁南に翔る
  念君客遊思断腸  君が客遊を念いて思ひ腸を断つ
  慊慊思帰戀故郷  慊慊(けんけん)として帰るを思ひ故郷を戀はん
  何為淹留寄佗方  何為れぞ淹留して佗方に寄る
  賤妾煢煢守空房  妾煢々(けいけい)として空房を守り
  憂来思君不敢忘  憂ひ来りて君を思ひ敢へて忘れず
  不覚涙下霑衣裳  覚えず涙下りて衣裳を霑(うるお)すを
  援琴鳴絃發清商  琴を援き絃を鳴らして清商を發するも
  短歌微吟不能長  短歌微吟長くする能わず
  明月皎皎照我牀  明月皎皎として我が牀を照らし
  星漢西流夜未央  星漢西に流れ夜未だ央きず
  牽牛織女遥相望  牽牛織女遥かに相望む
  爾獨何辜限河梁  爾独り何の辜(つみ)ありて河梁に限らる

曹操の詩「短歌行」を読む。(壺齋散人注)

  對酒當歌  酒に對して当に歌ふべし
  人生幾何  人生 幾何ぞ
  譬如朝露  譬ゆるに朝露の如し
  去日苦多  去る日は苦だ多し
  慨當以慷  慨して当に以て慷すべし
  幽思難忘  幽思 忘れ難し
  何以解憂  何を以てか憂ひを解かん
  惟有杜康   惟だ杜康有るのみ

漁父は漁父辞とも称され、楚辞の諸篇の中でも最も有名なものだ。司馬遷も史記の中で、屈原の孤高を象徴する詩として引用している。

卜居は屈原が占いに託して、自分が世に入れられぬ不満を述べたものである。卜居とはもともと、居宅の吉凶を占うことだが、ここでは運命を占うという意味で用いられている。

楚辞「九章」から屈原作「抽思」(壺齋散人注)

  心鬱鬱之憂思兮   心鬱鬱として之れ憂思し
  獨永歎乎增傷     獨り永歎して傷みを增す
  思蹇産之不釋兮   思ひは蹇産(けんさん)として之れ釋(と)けず
  曼遭夜之方長     曼として夜の方(まさ)に長きに遭ふ

「九章」は「離騒」とならんで屈原自身の作として誰もが疑いをさしはさむことのない作品群である。そのほとんどは、懐王によって放逐された後に、離騒と前後して書かれたものと思われる。その内容も、離騒と重なるところが多い。

天問:楚辞

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天問の題意についてはさまざまな説がある。もっともらしいのは、屈原は放たれて山野をさまよううち、楚の先王の廟に天地山川の森羅万象を描いた図を見て、それに詩を供えたとするもので、一種の画賛とする見方である。

楚辞・九歌から屈原作「國殤」(壺齋散人注)

  操吳戈兮被犀甲  吳戈を操(と)りて犀甲(さいかふ)を被り
  車錯轂兮短兵接  車は轂(こく)を錯(まじ)へて短兵接す
  旌蔽日兮敵若雲  旌は日を蔽ひて敵は雲の若く
  矢交墜兮士爭先  矢は交も墜ちて士は先を爭ふ

楚辞・九歌から屈原作「山鬼」(壺齋散人注)

  若有人兮山之阿   若(ここ)に人有り山の阿(くま)に    
  被薜荔兮帶女羅   薜荔(へいれい)を被て女羅を帶とす
  既含睇兮又宜笑   既に睇(てい)を含みて又宜(よ)く笑ふ
  子慕予兮善窈窕   子予の善く窈窕たるを慕ふ

楚辞・九歌から屈原作「河伯」(壺齋散人注)

  與女遊兮九河   女(なんじ)と九河に遊べば
  衝風起兮橫波   衝風起こって波を橫たふ
  乘水車兮荷蓋   水車に乘って荷に蓋し
  駕兩龍兮驂螭   兩龍を駕して螭(ち)を驂(さん)とす
  登崑崙兮四望   崑崙に登って四望すれば
  心飛揚兮浩蕩   心は飛揚して浩蕩たり

楚辞・九歌から屈原作「東君」(壺齋散人注)

  暾將出兮東方   暾(とん)として將に東方に出でんとし
  照吾檻兮扶桑   吾が檻を扶桑に照らす
  撫餘馬兮安驅   餘が馬を撫して安驅すれば
  夜晈晈兮既明   夜は晈晈(けうけう)として既に明らかなり

九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。

楚辞から屈原の歌「離騷」その二(壺齋散人注)

靈氛既告餘以吉占兮 靈氛既に餘に告ぐるに吉占を以てす
歴吉日乎吾將行    吉日を歴(えら)んで吾將に行かんとす
折瓊枝以為羞兮    瓊枝を折りて以て羞と為し
精瓊爢以為粻      瓊爢(けいび)を精して以て粻(ちゃう)と為す

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