離騷は屈原の代表作である。題意についてはいくつかの解釈があるが、史記は「離憂の如きなり」としている。すなわち「憂いにかかる」という意味である。詩の内容から推して、この解釈がもっとも自然といえる。
中国古代の詩
屈原は中国4000年の文学史の上で、最初に現れた大詩人である。詩経以前の詩は、いずれも無名の庶民によって歌われたものであるのに対し、楚辞に収められた屈原の詩は、一個の天才によって書かれた個人の業績としては始めてのものである。その後中国に現れたすべての詩人たちは、多かれ少なかれ、屈原を自分たちの先駆者とし、模範として仰いできた。
楚辞は詩経と並んで中国最古の詩集である。詩経は孔子が当時流布していた詩のうちから300篇を選んで編纂したとされ、周の時代にまでさかのぼるものを含むのに対し、楚辞の方は屈原という天才の詩を中心にして、それよりも後の時代の作品を多く含んでいる。おおむね紀元前300年前後より後の戦国時代末に作られた作品群ということができる。
詩経国風:豳風篇から「七月」を読む。(壺齋散人注)
七月流火 七月流火あり
九月授衣 九月衣を授く
一之日觱發 一の日は觱發たり
二之日栗烈 二の日は栗烈たり
無衣無褐 衣無く褐無くんば
何以卒歲 何を以てか歲を卒へん
三之日于耜 三の日 于(ここ)に耜(し)し
四之日舉趾 四の日 趾(あし)を舉ぐ
同我婦子 我が婦子とともに
饁彼南畝 彼の南畝に饁(かれひ)す
田畯至喜 田畯至り喜ぶ
詩経国風:曹風篇から「蜉蝣」を読む。(壺齋散人注)
蜉蝣之羽 蜉蝣の羽
衣裳楚楚 衣裳楚楚たり
心之憂矣 心の憂え
於我歸處 於(いづく)にか我歸り處らん
詩経国風:檜風篇から「隰有萇楚」を読む。(壺齋散人注)
隰有萇楚 隰に萇楚あり
猗儺其枝 猗儺(いだ)たる其の枝
夭之沃沃 夭(わか)くして之れ沃沃たり
樂子之無知 子の知ること無きを樂(うらや)む
詩経国風:陳風篇から「澤陂」を読む。(壺齋散人注)
彼澤之陂 彼の澤の陂(きし)に
有蒲與荷 蒲と荷とあり
有美一人 美なる一人あり
傷如之何 傷めども之を如何せん
寤寐無為 寤めても寐ねても為すことなし
涕泗滂沱 涕泗滂沱たり
詩経国風:陳風篇から「東門之楊」を読む。(壺齋散人注)
東門之楊 東門の楊
其葉牂牂 其の葉牂牂(そうそう)たり
昏以為期 昏(ゆうべ)を以て期と為す
明星煌煌 明星煌煌たり
詩経国風:陳風篇から「衡門」を読む。(壺齋散人注)
衡門之下 衡門の下
可以棲遲 以て棲遲(せいち)すべし
泌之洋洋 泌(ひ)の洋洋たる
可以樂飢 以て樂しみ飢うべし
詩経国風:秦風篇から「無衣」を読む。(壺齋散人注)
豈曰無衣 豈に衣無しと曰はんや
與子同袍 子と袍を同じうせん
王于興師 王 于(ここ)に師を興す
脩我戈矛 我が戈矛(かぼう)を脩めて
與子同仇 子と仇を同じうせん
詩経国風:秦風篇から「蒹葭」を読む。(壺齋散人注)
兼葭蒼蒼 兼葭蒼蒼たり
白露為霜 白露霜と為る
所謂伊人 所謂伊(こ)の人
在水一方 水の一方に在り
溯洄從之 溯洄して之に從はんとすれば
道阻且長 道阻にして且つ長し
溯游從之 溯游して之に從はんとすれば
宛在水中央 宛として水の中央に在り
詩経国風:唐風篇から「綢繆」を読む。(壺齋散人注)
綢繆束薪 綢繆(ちうびう)として薪を束ぬ
三星在天 三星天に在り
今夕何夕 今夕何の夕ぞ
見此良人 此の良人を見る
子兮子兮 子や子や
如此良人何 此の良人を如何せん
詩経国風:魏風篇から「碩鼠」を読む。(壺齋散人注)
碩鼠碩鼠 碩鼠 碩鼠
無食我黍 我が黍を食ふ無かれ
三歳貫女 三歳女(なんじ)に貫(つか)へたれど
莫我肯顧 我を肯へて顧みること莫し
逝將去女 逝いて將に女を去り
適彼樂土 彼の樂土に適(ゆ)かん
樂土樂土 樂土 樂土
爰得我所 爰(ここ)に我が所を得ん
詩経国風:魏風篇から「伐檀」を読む。
坎坎伐檀兮 坎坎(かんかん)と檀(まゆみ)を伐り
寘之河之干兮 之を河の干(きし)に寘(お)く
河水清且漣猗 河水清く且つ漣猗(れんい)たり
不稼不穡 稼せず穡(しょく)せざるに
胡取禾三百廛兮 胡(なん)ぞ禾(か)三百廛(てん)を取るや
不狩不獵 狩せず獵せざるに
胡瞻爾庭有縣貆兮 胡ぞ爾の庭に縣貆あるを瞻(み)るや
彼君子兮 彼の君子は
不素餐兮 素餐せず
詩経国風:魏風篇から「陟岵」を読む。(壺齋散人注)
陟彼岵兮 彼の岵に陟(のぼ)りて
瞻望父兮 父を瞻望す
父曰嗟予子 父は曰へり 嗟(ああ)予が子よ
行役夙夜無已 行役せば 夙夜已むこと無けん
上慎旃哉 上(ねが)はくは旃(これ)を慎しめや
猶來無止 猶(なほ)來りて止まること無かれと
詩経国風:齊風篇から「雞鳴」を読む。
雞既鳴矣 雞既に鳴きぬ
朝既盈矣 朝既に盈ちたり
匪雞則鳴 雞の則ち鳴くに匪ず
蒼蠅之聲 蒼蠅の聲なり
詩経国風:鄭風篇から「溱洧」を読む。(壺齋散人注)
溱與洧 溱と洧と
方渙渙兮 方(まさ)に渙渙たり
士與女 士と女と
方秉蕑兮 方に蕑を秉(と)る
女曰觀乎 女曰く觀しやと
士曰既且 士曰く既に且(い)きしと
且往觀乎 且つ往きて觀んか
洧之外 洧の外に
洵訏且樂 洵(まこと)に訏(おほ)いにして且つ樂し
維士與女 維(こ)れ士と女と
伊其相謔 伊(こ)れ其れ相ひ謔むれ
贈之以勺藥 之に贈るに勺藥を以てす
詩経国風:鄭風篇から「出其東門」を読む。(壺齋散人注)
出其東門 其の東門を出づれば
有女如雲 女有り 雲の如し
雖則如雲 則ち雲の如しと雖も
匪我思存 我が思ひの存するところに匪(あら)ず
縞衣綦巾 縞衣綦巾
聊樂我員 聊か我を樂しましむ
詩経国風:鄭風篇から「子衿」を読む。(壺齋散人注)
青青子衿 青青たる子が衿
悠悠我心 悠悠たる我が心
縱我不往 縱(たと)へ我往かずとも
子寧不嗣音 子寧(なん)ぞ音を嗣がざらんや
詩経国風:鄭風篇から「風雨」を読む。(壺齋散人注)
風雨淒淒 風雨淒淒たり
雞鳴喈喈 雞鳴喈喈たり
既見君子 既に君子を見る
云胡不夷 云胡(いかん)ぞ不夷(たひらか)ならざらんや
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