2008年9月アーカイブ

深まる一方の金融危機に対してブッシュ政権が全面的な介入方針を固め、7000億ドルにのぼる不良債権処理資金の投入を決めたまではよかったが、思いもかけず議会側の反発が強く、計画は宙に浮いたまま、なかなか前へ進まない。そうしている間に、S&L最大手のワシントン・ミューチュアルが破綻し、ついで巨大銀行の一角を担うワコビアが深刻な経営危機に陥る有様だ。

離騷は屈原の代表作である。題意についてはいくつかの解釈があるが、史記は「離憂の如きなり」としている。すなわち「憂いにかかる」という意味である。詩の内容から推して、この解釈がもっとも自然といえる。

シェイクスピアのソネット81  Or I shall live your epitaph to make(壺齋散人訳)

  私が生き残って君の墓碑銘を書くことになろうと
  私が墓の中で朽ち果てて君が生き残ろうと
  これからは死でさえも君の記憶を消せないだろう
  たとえこの私が死んでこの世から消え去ったとしても

シェイクスピアのソネット76  Why is my verse so barren of new pride(壺齋散人訳)

  何故こうも私の詩には新鮮味がなく
  多様さにも変化にも欠けているのか
  何故時には趣向をかえて
  新たな詩法や変わった言い回しを用いないのか

タフィーはウェールズ人 Taffy was a Welshman(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  タフィーはウェールズ人
  タフィーは大泥棒
  僕に家に押し入って
  肉を一切れ盗んだんだ

ミルクのように As white as milk (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ミルクのように白いけど
  ミルクじゃない
  草のように青いけど
  草じゃない
  血のように赤いけど
  血なんかじゃない
  すすのように黒いけど
  すすじゃない

ぼくのメンドリ I had a little hen (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ぼくのメンドリは素晴らしいメンドリ
  僕に代わって皿洗いや掃除をしてくれる
  水車小屋にいって粉をひいて
  あっという間に戻ってきては
  パンを焼いて ビールも作って
  そのうえ暖炉の傍で お話を聞かせてくれるんだ

発足したばかりの麻生政権を評して、朝日新聞の天声人語子が「桜鯛内閣」などと形容し、大方の失笑を買ったばかりだが、政権内部から早速、これに祝儀を添えるような事態が起きた。某国土交通大臣の一連の迷走ぶりだ。

チョコレートに心臓病を予防する効果があることを、イタリアの研究グループが突き止めた。モリ・サニというプロジェクトがそれで、毎日少量のブラックチョコレートを食べ続けることが、血管の炎症を防ぎ、ひいては心臓血管障害や脳卒中の予防につながるというのだ。ただし食べ過ぎると効果がなくなり、またミルクチョコレートではだめだということだ。

筆者は、若い頃はコーヒー党で、暑い日でも寒い日でも、ブレーキングタイムでも食事をした後でも、コーヒーばかり飲んでいたものだが、50を過ぎた頃から日本茶のうまさもわかるようになり、最近ではもっぱら日本茶ばかり飲むようになった。それにつれて、お茶の味にもこだわるようになり、多少値段が張ってもうまい茶葉を求めるようにもなった。

能「巴」は巴御前と木曽義仲の悲しい死に別れを描いた作品である。分類上は修羅者に入れられるが、通常の修羅者とは趣を異にしている。

デカルトとパスカルには共通するところが多い。まず外面的な事情からいうと、二人はともに科学者として出発した。デカルトは数学の分野では座標幾何学の基礎を築き、力学の分野でも多大の業績を上げた。他方パスカルはデカルト以上の天才振りを科学研究史上に発揮した。すでに16歳にして「円錐曲線試論」を書き、真空の実験、大気の圧力の実証(ヘクトパスカルという言葉に残されている)、水圧の原理の発見(パスカルの原理)、確率論の創始などさまざまな業績を上げた。パスカルがもし、一生を科学に捧げたならば、考えられぬような偉業を達成したであろうといわれている。

麻生政権が発足した。恐らくジリ貧の現行「自民党」が最後に選んだ内閣になるだろう。

ギヨーム・アポリネールの詩「狩の角笛」 Cors de chasse(壺齋散人訳)

  俺たちの恋愛は気高くも悲劇的
  暴君の仮面をみるようだ
  どんな不思議なドラマも
  どんな些細なことがらも
  俺たちの愛を掻き立てたことはなかった

病める秋 Automne malade (アポリネール:壺齋散人訳)

  病める秋よ 惜しまれつつ
  お前は死すだろう バラ園に嵐が吹きすさぶ頃
  果樹園に
  雪が降る頃

巨大なダイアモンド鉱石が南アフリカのレソトで発掘された。478カラットあり、歴史上20番目の大きさだそうだ。形がまとまっており、これをうまく研磨すれば150カラットのダイアモンド宝石を作り出すことができる。しかも色合いや透明度の点では、第一級の品質を持つことになるだろうといわれている。

野村證券が破綻したアメリカの証券会社リーマン・ブラザースのアジア部門とヨーロッパ部門を買収すると発表し、続いて三菱UFJ銀行がモルガン・スタンレーの株式を20パーセント取得して筆頭株主になるというニュースが流れて、世界を驚かせた。

屈原は中国4000年の文学史の上で、最初に現れた大詩人である。詩経以前の詩は、いずれも無名の庶民によって歌われたものであるのに対し、楚辞に収められた屈原の詩は、一個の天才によって書かれた個人の業績としては始めてのものである。その後中国に現れたすべての詩人たちは、多かれ少なかれ、屈原を自分たちの先駆者とし、模範として仰いできた。

楚辞は詩経と並んで中国最古の詩集である。詩経は孔子が当時流布していた詩のうちから300篇を選んで編纂したとされ、周の時代にまでさかのぼるものを含むのに対し、楚辞の方は屈原という天才の詩を中心にして、それよりも後の時代の作品を多く含んでいる。おおむね紀元前300年前後より後の戦国時代末に作られた作品群ということができる。

シェイクスピアのソネット73  That time of year thou mayst in me behold(壺齋散人訳)

  君が私のうちに見るのは一年のうちのあの季節
  冷たい風に揺れる枝には葉もなく
  あったとしても黄色い枯葉が二三枚
  小鳥たちが歌っていた聖歌堂も今は廃墟だ

シェイクスピアのソネット71  No longer mourn for me when I am dead(壺齋散人訳)

  私が死んだからといって もう泣かないでくれたまえ
  せめて無愛想で陰気な鐘が鳴り響き
  私の死を世間に知らせている間にしてほしい
  邪悪な虫が住む邪悪な世の中から私は飛び去るのだ

アメリカが陥っている先の見えない金融危機に対して、ブッシュ政権がついに全面介入する方針を固めた。議会側との交渉において説明している内容によれば、新たに7000億ドルを金融機関から調達し、それを原資に使って、金融機関の抱えている不良債権を買い取ろうというものだ。


幻想的な風景画で知られる日本画家東山魁夷の童画展が、千葉県市川市の東山魁夷記念館で開かれている。東山魁夷は東京美術学校(現東京芸術大学)に在学中の昭和初期から終戦近くに至るまで、数多くの童画を製作したが、それらは後年の作品の陰に隠れて、今まであまり注目されることがなかった。だが、それらには風景画の大作とはまた一味違った趣がある。今回はそんな童画をまとめて展示する初めての試みだというので、期待しながら出かけてみた。

ミソサザイのジェニー Little Jenny Wren fell sick(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ミソサザイのジェニーさんが
  あるとき病気になりました
  そこへ親切なコマドリ君が
  ケーキとワインを運んできました

暖炉のそばの子猫ちゃん Pussy-cat by the fire(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  子猫ちゃんが暖炉の傍で
  気持ちよさそうにお昼寝です
  そこへ通りがかった子犬君  
  「子猫ちゃん そこにいたの?
  ごきげんよう 子猫ちゃん
  子猫ちゃん ご機嫌いかが?」
  「あらごきげんよう 子犬さん
  それではまたね さようなら」

ハバードおばさん Old Mother Hubbard (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  お人よしのハバードおばさん
  ワンちゃんに骨を上げるために
  台所へ取りに行きました
  でもそこへいってみると
  台所はもぬけの殻で
  ワンちゃんは骨をもらえませんでした

恒星とその惑星らしいものが同時に映った写真を撮影することに、トロント大学の研究グループが成功した。その恒星 JRXS J160929. 1-210524 は、さそり座の一角にあって、地球からの距離は約500光年、太陽の質量の85パーセントほどの大きさである。一方惑星と思われる星は、木星の8倍ほどの大きさで、恒星からの距離は、太陽―地球間の距離の330倍である。

案山子のことは記紀の神話の中にも出てくるから、日本人にとっては悠久の昔から田んぼの中に立って、外敵から田んぼを守る役目を果たしていたと見える。しかもその形が今日と同じく一本足であったことは、スクナヒコナの神話のくだりから伺えるのである。そこには次のように記されている。

デカルトは方法的懐疑を行使してすべてのものの存在を一旦棚上げした上で、私の心の中にあるものを探っていくうちに、こうして考えているという行為そのものが、明晰で疑い得ないことであるし、したがって考えている私そのものの存在も疑い得ないものなのだという心証に達した。

サンテ刑務所 A la Santé (アポリネール:壺齋散人訳)

   I

  独房に入る前に
  俺は裸にされた
  くぐもったうめき声がいう
  ギヨーム なんてざまだ

  ラザロが出てきた墓へ
  俺は入っていくのだ
  さらば 陽気な騒ぎ声よ
  昔の日々よ 娘たちよ

鐘 Les cloches (アポリネール:壺齋散人訳)

  美しいジプシー 我が恋人
  鳴り渡る鐘を聞いてごらん
  二人で激しく愛し合おう
  周りの人など気にしないで

アメリカ大統領選を戦っているバラク・オバマ氏が対立候補を攻撃して「豚に口紅」と発言し話題をさらったのは先日のことだ。共和党のマケイン氏が副大統領候補にペイリン女史を担ぎ出し、新鮮さをアピールしたのに対し、いくらうわべを飾り立てても、中身は変わっていないと批判したのだ。

FRB米連邦準備制度がAIGアメリカン・インターナショナル・グループに対して850億ドルにのぼる公的資金を投入する決定をした。AIGの株式79.9パーセントを買い上げる方式をとり、2年後には全額を償還する計画で、変則的な貸付方式といえる。AIGはこの資金で当面の危機を乗り切り、その間に所有財産を売却することで返済資金を捻出する計画だ。

詩経国風:豳風篇から「七月」を読む。(壺齋散人注)

七月流火    七月流火あり
九月授衣    九月衣を授く
一之日觱發  一の日は觱發たり
二之日栗烈  二の日は栗烈たり
無衣無褐    衣無く褐無くんば
何以卒歲    何を以てか歲を卒へん
三之日于耜  三の日 于(ここ)に耜(し)し
四之日舉趾  四の日 趾(あし)を舉ぐ
同我婦子    我が婦子とともに
饁彼南畝    彼の南畝に饁(かれひ)す
田畯至喜    田畯至り喜ぶ

詩経国風:曹風篇から「蜉蝣」を読む。(壺齋散人注)

  蜉蝣之羽  蜉蝣の羽
  衣裳楚楚  衣裳楚楚たり
  心之憂矣  心の憂え
  於我歸處  於(いづく)にか我歸り處らん

詩経国風:檜風篇から「隰有萇楚」を読む。(壺齋散人注)

  隰有萇楚   隰に萇楚あり
  猗儺其枝   猗儺(いだ)たる其の枝
  夭之沃沃   夭(わか)くして之れ沃沃たり
  樂子之無知 子の知ること無きを樂(うらや)む

シェイクスピアのソネット63  Against my love shall be, as I am now(壺齋散人訳)

  わたしの愛する人も 今の私のように
  時の凶暴な手にかかって打ちのめされるだろう
  時の流れが彼の血を干からびさせ
  その額を皴だらけにするとき

シェイクスピアのソネット62  Sin of self-love possesseth all mine eye(壺齋散人訳)

  自惚れという罪が私の目や魂
  私のあらゆる部分に取り付いている
  この罪は私の心に深く根を下ろし
  誰も取り除くことはできない

サブプライム・ローン問題に端を発したアメリカの金融不安が新たな段階を迎えたようだ。大手証券会社リーマン・ブラザースが、連邦金融当局と大銀行とによる救済計画が破綻した結果、ついに破産申請をする事態に追い込まれた。また古い伝統を誇る証券会社メリルリンチがバンカメリカに身売りすると伝えられ、アメリカン・インターナショナル・グループは巨大規模の資産売却を決定したという。

筆者は現役最後の職場を三年半も勤めたので、その間に多くの人と出会った。それらのうち今は転出してほかの職場で働いている連中が、筆者の定年退職を記念して、送別会を開いてくれた。場所は地下鉄本所吾妻橋駅近くにある「稲垣」というもつ焼屋である。

牛馬の糞が燃料になるこことは広く知られている。草原の民の中には、家畜の糞を乾燥させて、それを主要な燃料として使っているものもある。家畜の糞で可能なことが、人間の排泄物でもできないわけがない。実際人間の排泄物の中にはメタン成分が豊富に含まれ、それを燃料に利用することは、大いに可能なのだ。

ロビン坊や Robin-a-bobbin (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ロビン坊やが
  弓を絞って
  鳩を撃ったら
  カラスに当たった
  もうひとつ撃ったら
  弟に当たった
  ロビン坊やの
  弓遊び

トム トム 笛吹きの息子 Tom Tom the pipers son (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  トム トム 笛吹きの息子
  豚を掻っ攫って逃げた
  豚を食ったトムはしこたま打たれ
  通りをわめきながら転がっていった

ジャックとジル Jack and Jill went up the hill(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ジャックとジル バケツにいっぱい
  水を汲みに丘を上った
  ジャックがこけて 頭を割ると
  ジルもあとから転げていった
  立ち上がったジャックは飛び跳ねながら
  一目散に家に帰ると
  頭に酢をかけて消毒し
  ぼろ雑巾で包帯したとさ

この夏、国際宇宙センターが不思議な雲を捉えた。その雲は地球の先端部、大気圏が宇宙空間と接するところに浮かんでいた。高度でいえば7万6千メートルから8万5千メートルの上空にあたる。通常の雲が発生するのはせいぜい1万8千メートルの上空が限度とされるから、これは非常に珍しい雲といえる。

お爺さん或はお婆さんが転がり落したおむすびを追いかけて穴の中或は他界へと導かれ、そこで地蔵や鬼と出合って試練を潜り、最後には宝物を持ち帰るという「おむすびころりん」の昔話は、さまざまなバリエーションを伴って日本中に分布している。古来子供向けのお伽話として最もポピュラーなものである。

デカルトは若い頃から自然観察に深い興味を示し、自然の体系に関する独特の理論を築き上げた。彼はその成果を30歳ころ「世界論」という著作にまとめたが、そのなかには地動説を支持する考えが述べられていた。ところがガリレオの地動説が弾圧されるのを見たデカルトは、この書物の出版をあきらめてしまった。

秋 Automne (アポリネール:壺齋散人訳)

  霧の中を蟹股の農夫と雄牛が行く
  秋の霧の中をのんびりと行く
  霞んで見えるのは貧しくもつつましい村

  歩きながら農夫は鼻歌を歌う
  愛の歌と浮気の歌
  愛の指輪と傷ついた心の歌

  秋が夏を過去へと追いやった
  霧の中を灰色の二つの影が行く

ジプシー女 La tzigane (アポリネール:壺齋散人訳)

  あの女ジプシーは知っていたんだ
  俺たちが闇で引き裂かれていると
  それで俺たちは別れたが
  何と井戸から希望がわいて出てきた

詩経国風:陳風篇から「澤陂」を読む。(壺齋散人注)

  彼澤之陂  彼の澤の陂(きし)に
  有蒲與荷  蒲と荷とあり
  有美一人  美なる一人あり
  傷如之何  傷めども之を如何せん
  寤寐無為  寤めても寐ねても為すことなし
  涕泗滂沱  涕泗滂沱たり

詩経国風:陳風篇から「東門之楊」を読む。(壺齋散人注)

  東門之楊  東門の楊
  其葉牂牂  其の葉牂牂(そうそう)たり
  昏以為期  昏(ゆうべ)を以て期と為す
  明星煌煌  明星煌煌たり

詩経国風:陳風篇から「衡門」を読む。(壺齋散人注)

  衡門之下  衡門の下
  可以棲遲  以て棲遲(せいち)すべし
  泌之洋洋  泌(ひ)の洋洋たる
  可以樂飢  以て樂しみ飢うべし

最近「限界集落」という言葉が流行っているそうだ。居住人口のうち65歳以上の高齢者が50パーセントを超えるような集落を称して、こういうらしい。ものの本によれば、林業研究者の大野晃が1990年代に提唱した概念で、林業の衰退によって、集落が過疎化する現象をとらえたものだった。大野はこの過疎化が余りにも深刻かつ急激で、集落が消滅の危機にさえ直面していることを重く見て、過疎化より進んだ状況を現すために、「限界集落」という概念を持ち出したのだった。

シェイクスピアのソネット60 Like as the waves make towards the pebbled shore(壺齋散人訳)

  あたかも波が砂浜に向けて押し寄せるように
  我々の命も終末に向かって先を急ぐ
  後ろのものは前のものと場所を入れ替わり
  次々と争うように前へ進んでいく

シェイクスピアのソネット55 Not marble, nor the gilded monuments(壺齋散人訳)

  王侯たちの大理石の像も金ぴかのモニュメントも
  この力強い詩より長く生き残ることはない
  君はこれらの詩句のなかで光り輝く
  時の流れに汚れた石像などよりもっと明るく


中川一政といえば、荒々しいタッチでゴッホの絵を思わせるような作風で知られる洋画家だ。美術を含めてアカデミックな教育は受けていないが、多方面な才能に恵まれ、短歌や随筆にも優れたものを残した。明治の半ばに生まれ、97歳という生涯を平成まで生き残ったわけだから、まざに日本の近現代を体現したような人だった。


伊豆伊東の温泉街の一角、松川の流れを背後にして、古びた木造の建物が立っている。東海館といって、かつては温泉旅館だった建物である。今は市の観光施設に衣替えして、一般の人々に開放されているから、伊豆に遊んだ人は気軽に立寄ることができる。

東京湾の入り口付近が深い海底の谷になっていて、そこに様々な深海魚が生息しており、とりわけサメの仲間は40種類を数えるということだ。世界の海の中でこんなにも多くの種類のサメが集中していること自体珍しいそうだが、それが大都会の目と鼻の先で展開しているというのも、非常に珍しい。

セント・アイヴズに行く途中 As I was going to St. Ives(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  セント・アイヴズに行く途中
  7人の妻を連れた男と出会った
  妻の一人ひとりは7つの袋を持ち
  袋の一つ一つには7匹の猫がいて
  ネコの一匹一匹は7匹の子猫を連れていた
  子猫とネコと袋と妻たちと
  全部でいくつになるでしょう
  

六ペンスの歌を歌おう Sing a song of sixpence (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  六ペンスの歌を歌おう
  ポケットいっぱいのライ麦と
  24羽のツグミとで
  おいしいパイを作ろう

ちっちゃな羊飼い Little Bo Peep (マザーグースの歌:壺齋散人訳)
 
  ちっちゃな羊飼いが羊をなくした
  いったいどこへ消えたのでしょう
  心配しなくても かえって来るさ
  尻尾を振り振り お前のところへ

一寸法師の物語は、お伽草紙においては住吉明神の縁起譚として語られている。主人公を背丈一寸の小人としているのは、スクナヒコナ以来の小さ子伝説が反映しているのであろう。

白雪 La Blanche Neige :アポリネール詩集「アルコール」から(壺齋散人訳)

  空には大勢の天使たち
  一人は士官の服を着て
  一人はコックの姿をし
  他のみんなは歌っている

クロティルド Clotilde :ギヨーム・アポリネール(壺齋散人訳)

  アネモネとオダマキが
  庭の中で花を開いた
  メランコリーが愛と
  さげすみの合間に眠る庭

詩経国風:秦風篇から「無衣」を読む。(壺齋散人注)

  豈曰無衣  豈に衣無しと曰はんや
  與子同袍  子と袍を同じうせん
  王于興師  王 于(ここ)に師を興す
  脩我戈矛  我が戈矛(かぼう)を脩めて
  與子同仇  子と仇を同じうせん

詩経国風:秦風篇から「蒹葭」を読む。(壺齋散人注)

  兼葭蒼蒼  兼葭蒼蒼たり
  白露為霜  白露霜と為る
  所謂伊人  所謂伊(こ)の人
  在水一方  水の一方に在り
  溯洄從之  溯洄して之に從はんとすれば
  道阻且長  道阻にして且つ長し
  溯游從之  溯游して之に從はんとすれば
  宛在水中央 宛として水の中央に在り

詩経国風:唐風篇から「綢繆」を読む。(壺齋散人注)

  綢繆束薪  綢繆(ちうびう)として薪を束ぬ
  三星在天  三星天に在り
  今夕何夕  今夕何の夕ぞ
  見此良人  此の良人を見る
  子兮子兮  子や子や
  如此良人何 此の良人を如何せん

不振が目立つ近年の日本の柔道界だが、その中で今回の北京オリンピックでの石井の金メダルは、無論快挙というべきだが、反面見るものに複雑な思いをもさせた。石井の勝利には、我々が思い浮かべるような柔道本来の痛快な一本技は全く見られず、相手との駆け引きばかりが目立ったからだ。

シェイクスピアのソネット48 How careful was I, when I took my way(壺齋散人訳)

  旅に出るときわたしは 念には念を入れて
  こまごまとしたものを金庫にしまって鍵をかけ
  わたしがそれらを使うまでは
  誰にも使われないよう気をつけたものだ

シェイクスピアのソネット43 When most I wink, then do mine eyes best see(壺齋散人訳)

  閉じられている時にこそ わたしの目はよく見える
  昼の間はものを見ても 見ていないも同然なのだ
  寝ている時には 夢の中で君が見える
  君の姿が暗闇の中に明るく浮かび出るのだ

サンパラソル:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


サンパラソルという名のこの変わった花は、キョウチクトウの仲間に属するマンデビラの一種なのだそうだ。日本の種苗会社が開発したという。マンデビラ Mandevilla とはつる性の植物で、メキシコ以南の中年米に自生している。日本ではチリソケイ属に分類されているが、あまり馴染みがないためもあって、もっぱらマンデビラの名が流通している。

仕事の縁で親しくしている人が数人いて、節目節目に都内の料理屋に集まっては、銘酒を堪能し料理に舌鼓を打ちながら、浮世話に花を咲かせるのを楽しみにしている。この度は筆者ともう一人の男(K氏)が定年で勤めていた職場を去ることとなったので、他の連中が我々の送別会に事寄せて、久しぶりに集まろうということになった。

今年の夏も、前半は昨年に増して暑さが厳しかったが、後半は雨模様の日が続き、しかもすさまじい勢いの集中豪雨が日本各地を断続的に襲った。気象庁によれば、ゲリラ豪雨と称される集中豪雨は、全国39箇所において過去最高の雨量を記録したそうだ。静岡県の富士市では一時間当たり113ミリの雨量だったというが、これがどれほどすさまじいものか、経験した人でなければわからないだろう。



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2008年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年8月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。