詩人の魂


王権 Royauté :ランボー「イリュミナション」から(壺齋散人訳)

  ある晴れた朝 善良な市民たちに取り囲まれ
  身なりのよい男と女が 広場に向かって叫んでいた
  「諸君 わしはこれを女王にしたいのじゃ!」
  「わたしは女王様になりたいの!」
  女はこう叫んで身を震わした
  男は啓示と試練について 友人たちに語った
  二人は身を寄せ合って悶え苦しんだ

  実際その朝 二人は王と女王だった
  カーマインの釣り花が家々の窓を飾り
  午後には 二人して棕櫚の庭園から進み出てきたのだった

ランボーの「イリュミナション」から「出発」 Départ (壺齋散人訳)

  見飽きた いたるところにわだかまっている幻影
  もう沢山だ 昼も夜も一日中いつでも街の喧騒だ
  十分わかっている 人生の節目 ―おお喧騒よ 幻影よ!
  新たな情愛と騒音に向けて出発だ!

ランボー「イリュミナション」から「生活」Vies (壺齋散人訳)

  おお 聖地の大道 寺院のテラスよ!
  俺に予言を授けてくれたあのバラモン僧はどうしただろうか?
  あの頃、あの場所については、俺にはまだ老女たちの姿が思い浮かぶのだ。
  俺は覚えている 銀色の太陽の時間が川のあたりを流れ、
  野原の中であいつの手が俺の肩にかかり、
  二人して爪先立ちながら胡椒畑で抱き合ったことを。
  - 赤い鳩が俺の思考の周囲を飛び回る
  - 俺はここに追放されてきて、
  文芸史上の傑作劇を演じるための舞台をこしらえてみた。
  諸君には前代未聞のすばらしい劇をお見せしよう。
  諸君がそこからどんな宝物を引き出すか、俺は見届けよう。
  結果はよくわかっている。
  俺の叡智は、カオスのように侮られるが、
  諸君に取り付いている無感覚に比べれば、俺の無内容などけちなものだ。

ランボー「イリュミナション」から「寓話」 Conteを読む。(壺齋散人訳)

  王子には ただ闇雲に寛大であろうとしていたことが
  なにか馬鹿げたことのように思えた。
  彼はすばらしい愛の革命を予見したのだった。
  そして女たちには飾り立てた媚以上のものが
  期待できるはずだと思った。
  彼は真実が知りたかった
  本質的な欲望と充足のときを。
  それが異常な信念であろうとなかろうと、知りたかったのだ。
  少なくともそのための人間としての能力は十分に持っていた。

洪水の後 Après le deluge (ランボー「イリュミナション」から:壺齋散人訳)

  洪水の記憶が覚めやらぬ頃

  一匹の兎がイワオウギとツリガネ草の繁みの中に立ち止まり
  くもの巣の合間を通して虹に祈りを捧げた

ランボーの散文詩集「イリュミナション」が始めて発表されたのは1886年、雑誌「ヴォーグ」紙上においてである。そのときランボーはまだアフリカで生きていたが、この発表に関与した形跡はない。これを編集したのはグスタフ・カーンとフェリックス・フェネアンであるが、彼等は何らかのルートで手に入れたランボーの散文詩篇に加え、1872年代に書かれた韻文12編も一緒に発表した。

ポール・ヴァレリーの詩「消えうせたワイン」Le vin perdu (壺齋散人訳)

  いつだったか またどこだったか
  わたしは大海の中に向けて
  虚無への捧げもののように
  少しだが貴重なワインを注いだ

ポール・ヴァレリーの詩「柘榴 」Les Grenades (壺齋散人訳)

  熟した実の過剰さに負けて
  開きかけた硬い柘榴
  あたかも賢者の額から
  思想がはじき出たかのようだ

ポール・ヴァレリーの詩「風の精」 Le Sylphe (壺齋散人訳)

  見えず 知られず
  わたしは香り
  生き生きと また消え消えと
  風に乗ってやってきます 

ポール・ヴァレリーの詩「眠る女」 La Dormeuse (壺齋散人訳)

  どんな秘密を心の中で燃やしているのか?
  わたしの女友達 優しい顔で花の香りを呼吸する人よ
  どんなものを食べたおかげで その体内の温かみから
  眠れる女のこの輝きが生まれてくるのか?

歩み Les pas (ポール・ヴァレリーの詩集「魅惑」から:壺齋散人訳)

  お前の歩みが 我が沈黙の子どもたちよ
  厳かに また緩やかに床を踏んで
  用心深いわたしの寝床の方へと
  静かに 冷ややかな音をたてて近づいてくる

蜜蜂 L'Abeille (ポール・ヴァレリーの詩集「魅惑」から:壺齋散人訳)

  お前の針が 蜜蜂よ
  どんなに繊細で どんなに致命的でも
  わたしはただ 薄紗のような眠りで
  お前の一撃を受け止めるだけだろう

若きパルク La Jeune Parque (ポール・ヴァレリーの詩:壺齋散人訳)

  風も吹かないのに このすすり泣くような音は何でしょう?
  この時刻 ひっそりと 星空の下で泣くのは誰?
  泣こうとするわたしの傍近くで

ナルシスは語る Narcisse Parle (ポール・ヴァレリーの詩:壺齋散人訳)

  兄弟たちよ 悲しき百合よ お前たちの裸体に
  求められたわたしは 美に煩悶する
  そしてニンフよ 泉の精よ お前に向かって
  わたしは虚ろな涙を純粋の沈黙に捧げるのだ

友愛の森 Le bois amical (ポール・ヴァレリー:壺齋散人訳)

  わたしたちは純粋な事柄を考えていた
  道々 肩を並べて歩きながら
  わたしたちは互いの手を握っていた
  言葉少なに 名も知らぬ花に囲まれ

糸を紡ぐ女 LA FILEUSE(ポール・ヴァレリー:壺齋散人訳)

  青い空がのぞいている窓辺で毛糸を紡ぐ女
  外では花壇がメロディアスに揺れている
  古い糸車の単調な音に女はうっとりとした

ポール・ヴァレリー Paul Valéry (1871-1945) は、大詩人であるとともに20世紀のフランスを代表する偉大な知性として認められている。その活動は、詩や文学のほか、音楽をはじめとした多彩な芸術分野、歴史、哲学、数学など様々な領域に渡っており、生涯に渡って知の巨人というに相応しい活動振りを見せた。

マラルメはボードレールに倣って散文の詩もつくった。それらはあまり多い数ではないが、いづれもマラルメらしさが現れている。散文といいながら音楽性にこだわり、書かれている内容も難解きわまるものだ。マラルメはそれらの散文詩をまとめて、「綺語詩篇」Anecdotes ou Poemes と名付けた。

牧神の午後はマラルメ畢生の傑作というべき作品であり、通常の文法を軽視した独特の言葉配置、またその言葉の流れの音楽性において、際立った特徴を有している。クロード・ドビュッシーはこの詩の音楽的な美しさに感動し、同名の有名な曲を作り、また20世紀の詩人たちにも限りないインスピレーションを与えた。

ステファヌ・マラルメの詩「ヴェルレーヌの墓」Tombeau (de Verlaine) を読む。(壺齋散人訳)

  黒い墓石が吹きまくる北風に怒る
  それでも存在することをやめず 背教の点でなら
  自分は人間の悪意に似ていると感じて
  死者の遺影に冥福を祈るのだ

Previous 8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18




アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち65)詩人の魂カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは64)20世紀サウンズです。

次のカテゴリは66)ボードレールです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。