2009年12月アーカイブ

エディット・ピアフのシャンソン「群集」 La Foule(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  街はお祭騒ぎで浮かれてたわ
  太陽が輝き喜びがあふれ
  音楽に混じって 叫び声 笑い声が
  わたしの周りで炸裂してた
  大勢の人たちに突き飛ばされ
  ぼおっとなったわたしは
  突然振り向くと 後ずさりする
  あの人の腕の中に飛び込んだの

エディット・ピアフのシャンソン「ミロール(だんな)」Milord(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  おいでよ だんな
  よっていきなよ
  外は寒いでしょ
  ここはあったかいよ
  気楽に だんな
  くつろいでいきなよ
  抱いてあげるから
  好きにさせてあげるから
  わたしのことは だんな
  知らないだろうけど
  わたしはあんたを
  よく知ってるよ

杜甫が鄜州で家族と再会を果たしていた頃、情勢は大きな転機を迎えていた。すでに至徳二年の一月に、安碌山軍には碌山が子の安慶緒によって殺されるという内紛が生じ、緩みが生じていたところだが、粛宗はその緩みをついて反撃の機会を狙っていた。そして至徳二年九月、粛宗の軍はついに賊軍を撃破して、長安を回復した。

杜甫の五言古詩「羌村三首其一」(壺齋散人注)

  崢嶸赤雲西  崢嶸たり赤雲の西
  日腳下平地  日腳平地に下る
  柴門鳥雀噪  柴門 鳥雀噪ぎ
  歸客千裡至  歸客 千裡より至る
  妻孥怪我在  妻孥我が在るを怪しみ
  驚定還拭淚  驚き定まりて還た淚を拭ふ
  世亂遭飄蕩  世亂れて飄蕩に遭ひ
  生還偶然遂  生還偶然に遂げたり
  鄰人滿牆頭  鄰人 牆頭に滿ち
  感嘆亦歔欷  感嘆して亦歔欷す
  夜闌更秉燭  夜闌にして更に燭を秉る
  相對如夢寐  相對すること夢寐の如し

NHKのドラマ「坂の上の雲」を見た。二三年前から鳴り物入りで宣伝していたので、おのずと興味を引かれたこともあったが、筆者が好きな正岡子規が主人公の一人として出てくるというので、是非見ようという気になったのだ。

真夏の夜の夢には、シェイクスピアの祝祭喜劇を彩っている道化は出てこない。そのかわりに妖精のパックが出てくる。中にはこのパックを道化と解釈する見方もあるが、パックは道化とはいえない。そうではなく悪魔なのだ。そうヤン・コットはいう。

シェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」 A Midsummer Night's Dream は、長い間ロマンティック・コメディとして、恋人たちの愛を謳歌する祝祭感覚に満ちた劇だと考えられてきた。メンデルスゾーンの音楽が、そうした捉え方に拍車をかけた。これは男女の結びつきをおおらかに歌った、饗宴の舞台なのであり、人々はそれを見ることで、生きる喜びを改めて感じ取ることができるのだと。

ルイ・アームストロングの歌から「バター&エッグマン」Big Butter and Egg Man(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  あの子ったら 金持ちが やって
  くるのを待ってるんだ
  誰でもいいんだ よく働いて
  金をくれて それで遊べれば
  きれいな服を 着られれば
  でもあの子はいうんだ
  おれが好きだなんてさ
  そういいながら 金持ちが 
  南のほうからやってくるのを
  待ってるんだ

ビリー・ホリディの歌から「セントルイス・ブルース」St Louis Blues(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  夕日が沈むのを見るのはいや
  夕日の沈むところなんかみたくない
  なぜって あの人がいなくなったからよ
  明日も今日と同じだったら
  明日も何も変わらなかったら
  せっせと荷物をまとめて出て行こう

大田南畝が狂歌を始めたのは、狂詩の延長としてであったろう。狂詩は漢詩を下敷きにしているので、漢詩の教養がないとわからない。ところが狂歌はやさしい日本語で書くものだから、誰にでもわかりやすい。また自分でも作ることができる。こんなことから、南畝の始めた狂歌が次第に評判を呼び、ついには一大文化現象とでもいうべきものに発展していった。

プルーストとボードレールの間にある近縁性については、それをもっとも意識していたプルースト自身を除けば、ヴァルター・ベンヤミンがもっともよく気づいていたといえる。ベンヤミンはこの二人の作品をドイツ語に翻訳しながら、彼らの間にある親近性を通じて、芸術に対するひとつの見方を形成していった。

エディット・ピアフのシャンソン「ある日の恋人たち」Les Amants d'un Jour(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  カフェの隅で
  コップを拭きながら
  夢見ることは
  たくさんあるわ
  こんな月並みな
  光景の中にも
  泣かせる夢が
  現れてくるわ

エディット・ピアフのシャンソン曲「アコーデオン弾き」L'accordéoniste(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  場末の女にだって
  可愛い子がいる
  その子にはとても
  好きな男がいた
  仕事が終わると
  町に出かけていって
  人ごみの中に
  夢を探した
  男は大道芸人
  風采の上がらない
  アコーデオン弾き
  ジャヴァの曲が得意

粛宗から左拾遺の職を授かった杜甫だが、一月足らずのうちにその職を危うくするような事態が起きた。陳陶、青阪の二つの戦で安碌山軍に大敗した房琯の責任を追及する声が起こったとき、杜甫は房琯を擁護したのだったが、そのことが粛宗の怒りに触れたのである。

至徳二年(757)旧暦四月、杜甫は安碌山占領下の長安を脱出して行在所のある鳳翔県に向かった。粛宗はこの年の二月、行在所をそれまでの霊武から長安により近い鳳翔県に移していたが、そのことを大雲寺の僧侶賛公から聞いた杜甫は、徒歩で三日ほどの行程なら、何とか歩いてたどり着けるだろうと思ったのだ。

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上の写真(AP提供)は、マゼラン星雲を構成するかじき座30星雲の一角、R136 と称される若い星団、ハッブル宇宙望遠鏡がとらえたものだ。

エリザベス朝の演劇の多くは、結婚によるハッピーエンドを採用している。シェイクスピアの場合も例外ではない。この劇でも、イギリス王ヘンリー五世とフランスの皇女カトリーヌとの結婚を、両国の平和を磐石にするものとして終幕部におくことによって、それなりのハッピーエンドを演じている。

フランスに攻め入ったヘンリー五世の軍隊は、数の上では圧倒的に劣勢である上に、戦場は敵の本拠地という不利もあった。この不利を跳ね返すために、王は兵士たちの忠誠とその勇敢さを宛にしないではいられなかった。

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地球から40光年という比較的近い場所に、またひとつ興味ある惑星が見つかった。最大の特徴は表面の大部分が水に覆われているということだ。地上の望遠鏡をベースにしたプロジェクト MEarth が発見したもので、GJ1214b と名づけられた。

ビリー・ホリディの歌から「サマータイム」Summertime(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  サマータイム 穏やかな日々
  魚は跳ね 綿は花咲き
  父さんは金持ち 母さんは器量よし
  だからねんねよ ねんねしな

  さわやかな朝に
  あなたは目覚める
  そして羽を広げて
  空高く飛ぶ
  そんな朝だもの
  泣かなくていいのよ
  パパもママもついてるから

ビリー・ホリディの曲から「ビリー・ホリディのブルース」 Lady Sings The Blues(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  わたしが歌うブルースは
  調子がよくない
  悲しいからなの
  わかってほしいわ
  この曲にこめた気持ちを

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横浜外人墓地は、元町公園の東端、山手の高台の西側斜面に沿って広がっている。元町公園の散策路を上り詰めて、エリスマン邸付近まで来ると、墓地のほぼ全景を眺め渡すことができる。この絵はその角度から描いたものだ。

大田南畝が処女作寝惚先生文集を世に問うた明和四年に、田沼意次は将軍家治の側用人になった。その後田沼は、明和六年に老中格、安永元年に老中に出世し、政治の実権を握るにいたる。田沼時代の始まりである。

ワイマール時代のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin のボードレール論は、ベンヤミン特有のキーワードを駆使しながら、ボードレールを、高度産業社会の勃興期にあって、社会と人間との裂け目を凝視し、それを抒情詩という、もはや時代遅れとなりつつある形式に定着した不幸な詩人として捕らえている。

フランス民謡から「橇に乗って」Promenade En Traineau(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  足早に馬は走る 鈴を鳴らし
  楽しそうに丘を越えて橇が行くよ
  谷間の冬にも青い空がいっぱい
  ああ なんて気持ちがいいんだろう 

  ゆけ ゆけ それ 橇がゆく
  マントに包まってゆこう
  ゆけ ゆけ それ 橇がゆく
  身を寄せてうずくまろう
  巣の中のスズメのように

フランス民謡から「サンタのおじさん」Petit Papa Noël(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  クリスマスの美しい夜
  雪が盛んに降る中を
  空に向かって目を開き
  小さな子がひざまずいて
  目を閉じて眠る前に
  最後のお祈りをします

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上の写真(ナショナルジオグラフィック)の中で、天上から降ってきた銀色の槍のように見えるものはふたご座流星群の軌跡のひとつ。十二月十四日の夜、カリフォルニアのモハヴェ砂漠で目撃された。同じ頃の日本でも、このような眺めが各地で見られた。

杜甫の七言古詩「江頭に哀しむ」(壺齋散人注)

  少陵野老吞聲哭  少陵の野老聲を吞んで哭す
  春日潛行曲江曲  春日潛行す曲江の曲
  江頭宮殿鎖千門  江頭の宮殿千門を鎖す
  細柳新蒲為誰綠  細柳新蒲誰が為にか綠なる

杜甫の五言古詩「興を遣る」(壺齋散人注)

  驥子好男兒  驥子は好男兒なり
  前年學語時  前年語を學びし時
  問知人客姓  問知す人客の姓
  誦得老夫詩  誦し得たり老夫の詩
  世亂憐渠小  世亂れて渠の小なるを憐れむ
  家貧仰母慈  家貧しくして母の慈なるを仰ぐ
  鹿門攜不遂  鹿門 攜ふること遂げず
  雁足系難期  雁足 系(か)くること期し難し
  天地軍麾滿  天地 軍麾滿ち
  山河戰角悲  山河 戰角悲し
  倘歸免相失  倘(も)し歸って相ひ失ふを免かれなば
  見日敢辭遲  見る日 敢て遲きを辭せんや

前の職場の連中が忘年会に招いてくれた。メンバーはこの四月に本所吾妻橋の稲垣に集まった熟女たちに加え、所長のS子。筆者を含め総勢七人、場所は前回同様稲垣だ。いまだに仲間として待遇してくれるのは、やはりうれしい。

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フランス人のアラン・ロートシルト Allan Rothschild とカロリーヌ・ポション Caroline Pochon が共同で出版した人間の尻に関するユニークな写真集 La face cachée des fesses (上の写真はその一部:AFP提供)が評判を呼んでいる。

味方の兵を鼓舞するときのヘンリー五世の言葉は、いまなおイギリス人の愛国心に訴えかける勇猛さにあふれているが、その言葉が敵に向けられるとき、勇猛さは獰猛さに変わる。勇猛果敢であることと獰猛無慈悲であることは人間の情熱の表裏をなしている、こうシェイクスピアは観客に訴えかけているようだ。

シェイクスピアはヘンリー五世の口から、兵士たちを鼓舞する勇猛な言葉を吐かせるが、それを受けとめる兵士たちを、一様に鼓舞される対象として描いているわけではない。兵士たちの中には、名誉より命が大事だと考えるものもいる。その食い違いをさらりと描くところが、シェイクスピアのたいしたところだ。

ビリー・ホリディの歌から「マイ・マン」My Man(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  つらかったけど
  ひとつだけ得たものがある
  それは彼
  わたしの彼

  いろんなことが
  あったけれど
  辛抱できるわ
  彼となら

ビリー・ホリディの曲から「金持ちの子供に祝福あれ」God Bless The Child(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  得たお金は納めよ
  得られなかったものはあきらめよ
  バイブルはそんなふうに教えてるわ
  パパもママもそうしてきたんでしょ
  金持ちの子供に祝福あれ
  祝福あれ

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横浜の赤レンガ倉庫を始めて訪ねたのは2001年の暮だった。公開される前のことで、建物は改修の最中だった。この絵はその折のスケッチをもとに描いたものだ。運河にかかる橋のたもとから見ると、このような構図が得られる。

日本の伝統的木造建築は、ヨーロッパの建築のように、階層を高く積み上げることには向いていなかった、寺社建築にしろ、その他の建築物にしろ、木造建築は平屋であることが普通だった。そこをあえて重層の建物にするには、塔が高くなくてはならぬといった、建築外的な要素が働く場合に限られていた。

大田南畝の処女出版「寝惚先生文集」に平賀源内が序文を寄せた。源内はエレキテルの発明や博物学などによって歴史上ユニークな存在であるが、同時代人にとってはむしろ破天荒な戯文作者として有名であった。その高名な戯文作者平賀源内の序文を付したわけだから、南畝の処女出版は、人の評判を呼ぶのに何かと好都合な条件を獲得したわけである。その序文にいう、

フランス民謡から「ぼくが好きなら」Si tu veux faire mon bonheur:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  ぼくが好きなら
  マルグリット マルグリット
  愛してくれるんだったら
  キスして欲しいんだ

  こういうと マルグリットは
  ぼくにキスを してくれたんだ
  マルグリットが ぼくに
  キスしてくれたんだ

フランス民謡から「風車が回る」Petit Moulin(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  まわる まわる 風車が
  おててを おててを たたこう
  飛べ 飛べ 小鳥
  泳げ 泳げ お魚
  水車は 回る
  おてては 拍手
  小鳥は 飛んで
  お魚は 泳ぐ

憶幼子 杜甫

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杜甫の五言律詩「幼子を憶ふ」(壺齋散人注)

  驥子春猶隔  驥子 春猶ほ隔たる
  鶯歌暖正繁  鶯歌 暖かく正に繁し
  別離驚節換  別離 節の換るに驚ろく
  聰慧與誰論  聰慧 誰とか論ぜん
  澗水空山道  澗水 空山の道
  柴門老樹村  柴門 老樹の村
  憶渠愁只睡  渠を憶って愁ひて只睡り
  炙背俯晴軒  背を炙って晴軒に俯す

春望 杜甫

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杜甫の五言律詩「春望」(壺齋散人注)

  國破山河在  國破れて山河在り
  城春草木深  城春にして草木深し
  感時花濺淚  時に感じては花にも淚を濺ぎ
  恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  烽火連三月  烽火 三月に連なり
  家書抵萬金  家書 萬金に抵す
  白頭搔更短  白頭搔けば更に短く
  渾欲不勝簪  渾(すべ)て簪に勝(た)へざらんと欲す

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上の写真(AP提供)は、ハッブル宇宙望遠鏡が送ってきた宇宙の最先端に近い部分の映像。一見しただけではなかなかわからないが、数千に上る新しい銀河が発見できるという。ハッブル宇宙望遠鏡は近赤外光を分析できるので、それを用いれば、宇宙の果からの情報も詳しく解析できるのだそうだ。

最近こんなことがあった。ちょっぴり太目のわたしの若い友人が、突然顔を青くして辛そうな表情を見せたかと思うや、「エアが抜けそう」と叫んだ。何のことかといぶかっている間もなく、友人のまわりには異臭が漂い始める。ははあ、この男は屁を放ったのだ。

ヘンリー五世はイギリスの歴代の王の中でも、もっとも人気がある王といってよい。その理由は彼がフランスとの戦争において、数の上では劣勢であるのにかかわらず、兵士たちの勇気を鼓舞して勇敢に戦い、圧倒的な勝利を収めたことにある。国民国家の間で絶えず戦争がなされていたヨーロッパの歴史において、国民を勝利に導いた英雄は、その国の人々の記憶に、長く残り続けてきたのだ。

ヘンリー五世が即位後に最初に行ったことはフランスとの戦争である。戦争の大義名分は、プランタジネット家が女性の王統を通じて、フランス王としての権利を保有しているということだった。この主張はいささか強引にも聞こえることから、ヘンリー五世は古い法律によってそれを補強しようとする。劇の中でサリカ法と呼ばれるものである。

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上の写真(AP提供)は、横浜八景島シーパラダイスのケープ・ペンギンJackass Penguin たち。首に色とりどりのリボンをつけて、踊っている様子が面白い。

ビリー・ホリディの歌から「イージー・リヴィング」EASY LIVING(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  あなたのために 生きるって
  それはとてもすてきよ あなたが
  愛してさえくれれば
  そうよ あなただけなの

ビリー・ホリディの歌から「言い訳はなしよ」Don't Explain(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  お願い 言い訳はなしよ
  わたしと一緒に
  いるといって 言い訳はなしよ

明和四年(1767)、大田南畝は若干18歳にして処女作を世に問うた。題して寝惚先生文集、狂詩狂文の類を集めたもので、わずか38篇を収めた小冊子に過ぎなかったが、たちまち世間の評判を呼び、南畝は一夜にして江戸文芸の花形になった。

日本の伝統的な木造家屋の特徴は、深い庇をもつことだ。これは平安時代の寝殿造り以来の伝統といってよい。寝殿造りにあっては、母屋を支える軸組の延長に柱を並べ、その下に生じた空間を庇の間として、母屋と一体のものとして使っていた。それがごく最近まで連綿と続いていたわけだ。

フランス民謡から「いじわるな 鐘撞さん」Le maudit carillonneur(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  いじわるな 鐘撞さん
  わたしをじらすのが楽しいの?
  朝早くから鐘に
  しがみついて
  夕方にも
  強く鳴らす
  いつになったらやめて
  くれるの?

フランス民謡から「クモさん」Une araignée sur le plancher(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  クモさんが 床の上で
  編み物してる

  カタツムリさんが ビンの中で
  靴を縫ってる

  空では ミツバチが
  音楽を鳴らしてる

  ファンファーレの 鐘を鳴らすのは
  ネズミさんです

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上の写真(ロイター提供)で赤ちゃんたちが入り込んでいるバケツのようなものは、タミータブ Tummy Tub という入浴用の桶だ。形から連想されるように、この桶に入れられた赤ちゃんは、あたかも母親のお腹の中にいたときと同じような感覚を得られるという。(ちなみに、タミーとは俗語でお腹のこと。)

對雪 杜甫

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杜甫の五言律詩「雪に對す」(壺齋散人注)

  戰哭多新鬼  戰哭 多くは新鬼なり
  愁吟獨老翁  愁吟するは獨り老翁
  亂雲低薄暮  亂雲 薄暮に低(た)れ
  急雪舞回風  急雪 回風に舞ふ
  瓢棄尊無綠  瓢棄てられて 尊に綠(さけ)無く
  爐存火似紅  爐存して 火は紅に似たり
  數州消息斷  數州 消息斷ゆ
  愁坐正書空  愁ひ坐して正に空に書す

悲青阪 杜甫

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杜甫の七言律詩「青阪を悲しむ」(壺齋散人注)

  我軍青阪在東門  我 青阪に軍して東門に在り
  天寒飲馬太白窟  天寒く馬に飲(みずか)ふ太白の窟
  黃頭奚兒日向西  黃頭の奚兒 日に西に向かひ
  數騎彎弓敢馳突  數騎弓を彎(ひ)いて敢て馳突す 
  山雪河冰野蕭瑟  山雪河冰 野は蕭瑟たり
  青是烽煙白人骨  青は是れ烽煙 白は人骨
  焉得附書與我軍  焉んぞ得ん 書を附して我が軍に與へ
  忍待明年莫倉卒  忍んで明年を待て 倉卒なる莫かれと

猿山の猿といえば、プラスのイメージで語られることはない。集合体としては、絶えざる内紛と力による支配が蔓延し、常に不安定な状態にさらされている。また集合体を構成する個々の猿は、強いものにはへつらい、弱いものには居丈高に振舞う、また絶えず上昇することを願って、仲間同士足を引っ張り合う、こんなイメージが定着している。

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今年の夏に、山、落、松の諸子と草津へ旅行した折の事は、先稿で書いた。今回はそのメンバーに山子の細君を加え、五人で房総半島に遊んだ。当初は二台の車に分譲していくつもりだったが、松子の発案で、彼の車に五人乗っていこうということになった。多少狭苦しいが、一緒に行動したほうが楽しいだろうという配慮からだ。

シェイクスピア劇の特徴のひとつに、劇の冒頭において、劇全体の展開を暗示するような言葉を、登場人物に言わせる工夫がある。初期の傑作リチャード三世においては、リチャードが冒頭で述べる言葉の中に、すでに劇の荒筋が込められていた。それはリチャードの意思として述べられる言葉なのだが、その意思が次々と実現されていくというのが、劇の展開そのものになっている。リチャードの言葉は、将来の予言そのものにもなりえているのである。



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